縄張り図
能登地震から3か月余りであるが、金沢市内にはその影響を感じるところが少なかった。金沢城も普段どおりに見ることができる。
天正8年(1580年)、柴田勝家が、それまで当地にあった金沢御堂城(かなざわみどう)を攻略し、佐久間盛政が初めて金沢城主となり城郭整備に着手しました。賤ヶ岳の合戦後、前田利家が金沢城主となり、3代藩主利常(としつね)による寛永8年(1631年)の大火後の造営で現在の城の縄張りがほぼ定まり、約300年間にわたって百万石余を領した前田家歴代の居城として継続しました。
金沢駅よりバスにて、お堀通り石川門下にある金沢城公園口で下車。 すぐ前田利家の銅像がありその小路に沿って大手門にむかう。
大手門
大手門から河北門を通って三の丸に至る。
河北門
五十間長屋
おなじみの三の丸から見た五十間長屋の写真をご存じの方は多いと思われる。この堅固で長い上下2段の防備を見ると、ただならざるお城構えであると、誰しも感じるでしょう。 橋爪門から二の丸に入りその五十間長屋の内部を見学することができる。そこと兼六園は70歳以上は無料となる。 なお、二の丸御殿の復元計画がある。
菱櫓 五十間長屋に続く菱櫓
橋爪門
三〇間長屋 重文
本丸はうっそうとした林で1602年に焼失した天守跡の案内は見つけられなかった。
本丸にある戌亥櫓跡
鶴丸倉庫 重文
兼六園に続がる搦手として石川門がある
石川門 重文
2024-4-7