永平寺よりバスにて一乗谷・復元町まで行く。 谷あいの川を挟んだ狭い地域に朝倉氏が住んだ。 復元の街並みを見ることができる。 当日は鉄砲隊の実演があり。谷間に銃撃音が予想外に大きく響いた。
現地を訪れてみると南北に城戸をもうけるだけでは不安がある。朝倉館もすぐ横が山であるここから攻めてきたらどうするのだろうか? 実際は安心して住んできたのであるから、統治が安定していたか、他の防備を考えてきたかのいずれかであろう。 実際には、北東の低い場所には小見放城という出城が築かれ、馬出しなどが設けられていた。なお、一乗谷の周辺の山峰にも、西に槙山城、北に成願寺城、南に三峰城などの出城が築かれていた。 下図のように東西南北に出城があった。 それらはクマが出るような環境であるから見るのは大変である。
柴田勝家の北の庄城でも云えるのであるが、大きな野戦で敗北してしまうと、ここも信長から守るのは難しかった。 ここは芭蕉ではないが「兵どもの夢の跡」という気持ちがしないでもない。
一乗谷城の周辺出城
一乗谷川の両岸に朝倉氏の遺跡がある
朝倉館跡 この敷地に庭園跡もある
復元城下町
火縄銃の発砲実演
2024-4-16