口之津からバスにて島原城と日野江城を見て来た。 ヨットで行くつもりでもあったが、適当な停泊場所がないので取りやめる。島原の武家屋敷やどちらの城も想像以上で満足のゆくものであった。
行く途中のバスの中で、あの普賢岳、今でも思い出す火砕流の滑り落ちて迫る映像のそれに近いので驚く。 島原駅の正面で坂を上ったすぐ近くに島原城はある。
1616年に大和から転封した松倉重政が日野江城から移ってこの城を築いた。 五層の天守と三層の櫓3つを持つ7当時4万石の大名にしては大きな城である。 過大な出費のため苛政をし、そのため天草の乱の原因を作った。 松倉氏は断絶し、その後には譜代の大名が続いた。
縄張り図
天守 残念なことにコンクリートによる復元である。 中は資料館になっている。
本丸へ
島原武家屋敷
縄文の
築城の時に70石以下の武士のために城の西側に武家屋敷が整備された。 鉄炮町とも呼ばれそれで戦う徒の住居である。 役所の書記、代官、門の警備などに平時は従事した。
下の丁、中の丁、古丁の3筋から、上新丁、下新丁、新建、江戸丁が追加してつくられた。 今の武家屋敷通りは下の丁にあたる。山本邸、篠塚邸、島田邸を見ることができる。
下の丁、 中央に水路が生活用水として利用された
山本邸
山本邸 座敷
山本邸 台所
2023-7-25