2026年のNHKの大河は秀吉の弟・秀長をやっています。 秀長が先に死なねば豊臣は滅びずに、徳川になることは無かったであろうと云われるのとは違い、範頼は最後は兄に疎まれ、追手により殺される悲劇の人となりました。
10年余になる自分のHPやブログにある範頼をまとめてみました。
2026-6-16
源範頼

1150-1193?
源範頼は義経と同様な運命になった割には知られていません。地元にゆかりがあると言われるので調べてみました。
範頼は頼朝の異母弟で、義経の異母兄です。 遠江国蒲御厨で生まれ育ったので蒲冠者,蒲殿と呼ばれる。 兄の頼朝の代官として源義仲(木曽義仲)追討の大将軍となり、上洛して弟の義経軍と伴に義仲を滅ぼす。 一の谷合戦では3万と言われる主力大手軍を率いて戦い、また義経軍は1万の搦手軍を率いてその奇襲により平家に勝利した。 その後中国と九州の平氏側の御家人を味方につけ平氏を長門国に孤立させる。そのせいで義経は屋島の戦いで勝利する。続いて壇ノ浦の合戦で平氏を滅亡させた。
義経と頼朝が対立した、義経は藤原泰衡の襲撃により自害する。頼朝の奥州藤原氏を滅ぼした軍に参戦する、これが最後の出征となる。 曽我兄弟の仇討事件をきっかけにして謀反の疑いを受ける。伊豆の修禅寺に幽閉され謀殺されたという。
平家滅亡までは主力を率いて勝利し貢献大です。義経が有名ですが範頼が平家の主力を押さえていたからこそ、義経の奇襲が成功したともい云えます。
頼朝は封建制の常で兄弟はいつもライバルです。うまく弟たちを使ったともいえますが、3代で鎌倉幕府が滅びる原因にもなりました。
範頼ゆかりの地 その1
1. 蒲さくらは、範頼の杖についていた種が成長して、蒲冠者のいわれから名がついた樹齢800年以上の桜です。蒲桜の根本にある墓石は逃れ住んだ範義のものといわれています。

北本市 石戸蒲さくら 天然記念物

東光寺 範頼創建といわれている
2. 範頼の妻、亀御前は範頼の死を知り、荒川に薙刀を持って身を投げて、その薙刀が常勝寺に残されているといいます。(ここはシナ駐屯第1歩兵連隊供養地の寺でもある)

常勝寺
3. 北本市にある高尾阿弥陀堂は亀御前を供養するために建てられたといわれて高尾さくら公園隣にある。 亀御前の石塔と薙刀は常勝寺にここより移されたといいます。

高尾阿弥陀堂 鐘楼
4.. 石戸神社は1199年に亡くなった範頼の息女・亀御前の供養のために建てられたといわれている。遺跡堀之内館の中に神社はある。堀之内館は源範頼の住居の地と伝えられている。

石戸神社

石戸神社入口

神社の奥にある2つの小さな社この後ろに土塁と堀の遺構がある

土塁と堀の遺構

石戸神社由来

交通
北本駅西口から北里メデイカルセンター行きバスで15分・190円
蒲桜行も少数あります。
2015-7-14
源範頼 ゆかりの地 その2
源範頼の居館跡は北本にある石戸神社を含む堀之内居館跡と吉見にある現在は息障院というお寺に居館跡の2つです。
吉見にある居館跡を訪ねてみました。住所は吉見町御所374で御所という地名を今でも残しています。 落ち着いた境内のたたずみです。 庭もよく手入れされています。 南東部にある幼稚園を経営されているようで、財政的に安定しているお寺だとうかがわれます。
近くに安楽寺があり、範頼が平家の追及を逃れるため稚児僧として隠れ住んだ地と言われています。安楽寺も訪ねました。吉見観音とも呼ばれています。息障院から徒歩で二〇分ほどです。
ここの本堂と三重の塔は範義が建てたといわれています。戦国の争いで近くの東松山城の戦いのときに焼失しました。現在の建物は江戸時代の再建です。ここは義経の鞍馬寺と同じ立位置にあるお寺ということになります。風情のある良い寺院です。
範頼居館跡・息障院

息障院の門

息障院の本堂

息障院の長屋門

北西角の空堀と水堀

南側の空堀 塀は息障院のもの

南西部から南側空堀を望む
安楽寺・吉見観音

安楽寺・吉見観音

安楽寺 三重の塔
2015-9-22
源範頼のお墓 その1
範頼のお墓は伝説により8か所あります。まだまだありそうです。
有名なものは伊豆の修善寺にあるものです。範頼は、ここに幽閉され梶原景時に包囲されたとありますので、ここで亡くなった可能性は高いと思います。 その遺骸は家臣のものではないかということで、日本中のあちこちにお墓ができるようになりました。
後世には地元以外には忘れ去られた人物ですが、これらのお墓の数より、 当時では人望もあり評価された人物であったのでしょう。
源範頼の子孫・吉見氏が能登や広島・安芸郡に領地を構えたところから、逃亡伝説もそこにはあり、お墓もあります。生きていてほしいとの願望・希望が伝説として伝えられたました。
青字は訪れたところで詳細ペ-ジあり
1. 埼玉県北本市 東光寺蒲桜下の石塔
東光寺には範頼の位牌が保管されている
2. 伊豆市修善寺
3. 横須賀市金沢区 横浜金沢区 大寧寺の墓
4. 伊予市上吾川 称名寺・鎌倉神社 鎌倉塚 (その4)
5. 広島市佐伯区三宅 観音神社 (その2)
6. 鳥取市河原町の霊石山中腹
7.. 浜松市南区飯田町 稲荷山龍泉寺
8. 長門市 三隅中の生島山中 その5
9. 広島市西区古江上 福蔵寺 (その3)
2015-11-3 2016-10-23
源範頼のお墓 その2
源範頼のお墓 その3
源範頼のお墓 その4
源範頼 お墓 その5
ヨットで隠岐へ行く途中に仙崎に立寄りました。 近くの三隅に範頼の供養塔とお墓があるということで訪れました。
ネットで調べてみるが詳しいことは分かりませんでした。

長門三隅八幡宮の親切な宮司さんに地図を書いてもらい行くことができました。
なぜ、ここに範頼の供養塔とお墓があるのかというと、伊豆修善寺で梶原景時に襲われて範頼は亡くなった。部下の当麻三郎と小太郎が首を持って逃れてここに供養したと云われています。

三隅八幡宮

範頼供養塔
お墓は案内板にたどり着けましたが、そこへ行く経路が分からずに見ることはできませんでした。
案内板のすぐ後ろに獣道のような登り口があって途中まで行くが不安になり戻りました。他の道も探りましたが行くことが出来ません。 案内の説明不足でしょうか?
範頼はこの地では大事にされていないようですね。 せっかく大河ドラマで登場しているので殺されるシ-ンが過ぎてしまうと、 ますます、ここを訪れる人は少なくなってしまうでしょう。
隠岐のクル-ズを終えて自宅に帰って大河の録画を見ると、範頼はもはや殺されてしまっていた。範頼の復権は遠いようです。


範頼お墓 案内板
2022-8-4
源範頼の子孫
2026-6-16