応神・仁徳天皇の里を訪ねる

2024年01月27日

応神・仁徳天皇の里を訪ねる

 
     応神町、仁徳橋 、 藍の館


 徳島ケンチョピアに滞在した時にはこれらを訪ねるのに、JR吉成駅で下車してタクシーを呼ぶが来てもらえなかった。 ここへの訪問を諦めていたが、徳島を出港して香川県の引田に停泊して、再度挑戦した。 今度は勝瑞駅で降りてタクシーを呼び迎車してもらえた。ここのほうが町が大きい故なのでしょうか。

 初めに飛行場近くの川内町にある住吉神社へ行く、どうも元社である気配が感じられず。納得が行かないまま応神町へ向かう。仁徳橋、藍の館を訪ねて、帰り道に本来の住吉神社を訪ねることができた。




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  応神・藍住町 地図



    応神町  

 応神天皇ゆかりの地と云えども何も残っていない。 残った地名は応神産業団地としての狭い地域のみである。 もちろん案内板。石碑の類は無い。 15代応神天皇はヤマトヤケルの孫で仲哀天皇神功皇后の子供であると云われる。





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  応神町の風景


 

     仁徳橋



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  仁徳橋


 正法寺川に架かるどうこう云うことない橋です。 15代応神天皇の子が16代仁徳天皇であることから、また、応神天皇八幡神と云われて、それを祀る住吉神社の元社が近くにあるということ。 そのような屁理屈があるけれど、阿波から奈良へ遷都しているのならばこの地に関連のものがあることは不思議でもない。 しかし何も案内するものは無いけれど。




     藍の館   

 

 藍住町は名前の通り藍の産地である。 大河ドラマで日本の近代を創設した渋沢栄一の生家が藍商人・農家であった。深谷まで見に行った覚えがあります。 それと比べてここ奥村家は敷地がもっと広大である。 渋沢が1万両の商いというから、その数倍の商いをしていたのかと想像される。

 館内で藍染めの講習会をやっています。 奥村家の母屋へは入り口が閉まっており、その日は見学ができませんでした。

 

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  展示品



 

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  奥村家への入り口



     2024-1-27



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