知覧城、亀甲城と麓武家屋敷

  

 

  知覧の見たいところ特攻平和会館、麓武家屋敷、知覧城へバスで行くには終点まで乗らずに、行く場所のバス停留所で降りたほうがよい。ちなみに知覧行きバスは鹿児島中央、指宿、枕崎などからの便がある。

 

 

 

  1.  知覧城

築城年代は不明ですが,記録によれば文和2年(1353)足利尊氏によって島津忠宗の三男,佐多忠光に知覧の領地が与えられています。以後佐多氏の居城として知られています。

城の構造は,本丸・蔵之城などを中心とした曲輪群(平坦地)とそれを取巻く東ノ栫・式部殿城など周辺の曲輪群から形成されています。城と城の間には深い空堀がめぐり,それぞれが独立しているのが特徴です。 案内板は充実していて比較的整備されている。 しかし、他の2つの施設に比べてここを訪れる人は少ないようだ。

 

 

  本丸   虎口付近が崩れて青ビニール

 

 

  蔵之城へ

 

 

   建物跡  蔵之城

 

 

  今城へ   

 

 

 

     2.  亀甲城

  知覧城の出城である。 記録が無いので詳細不明。 

 

   縄張り図

 

 

  復元された虎口、   麓川の左岸に築かれていた

 

 

   矢櫃橋を渡って左の大手口へ

 

 

 主郭にある知覧忠世顕彰碑  南朝側に属し守護の島津貞久と戦う。

 

   らせん状の道を昇る

 

 

 

 

 

 

       知覧麓武家屋敷

 

 石垣とその上の生垣が並び武家門と庭園が見られる

 

  知覧ふもと武家屋敷案合図

 

 

  知覧麓 武家屋敷通リ

 

 

  西郷恵一邸 武家

 

 

   西郷庭園

 

  平山克己庭園

 

  知覧型二つ屋

 

 

  森重堅庭園

 

           2023-8-11





        蒲生 麓武家屋敷

 

 鹿児島中央駅よりバスにて姶良市役所蒲生支所のバス停で下りて蒲生麓武家屋敷へ行って来た。 麓武家屋敷に必ずあるというよりお城があってこその家臣の武家屋敷であるのですが、武家屋敷散策後に蒲生城を訪ねたが、登城口が見つからず、断念してしまった。  指宿からはるばるの鹿児島南から北への渡来であったので意気が上がらなかったのでしょう。 いつもの小生の追及の甘さの欠点がでてしまった。反省。

 ここは蒲生川と別府川の2本に挟まれて、9本の馬場と3本の小路にて区切られた町割りです。



 



  町割りと馬場通り




  仮屋門




   西馬場





   武家




     蒲生城 (竜ヶ城)

 

  後で分かったのであるが公園として良く整備されているようで、お城ファンとしては残念な思いである。

 蒲生氏が代々居城としていた。島津義久がここを落として領した。 本丸、2の丸、3の丸の他に曲輪群で構成されたお城である。



   蒲生城




  お城登山口    藪こきを予想され断念した

 

 

   今後ここを訪れたい人のために   蒲生城 城郭放浪記

  https://www.hb.pei.jp/shiro/ohsumi/kamou-jyo/thumb/




          2033-8-16