土屋陣屋と伊那忠治

 

 土屋陣屋( さいたま市西区 現永田邸 )


 現在の永田屋敷は江戸時代初期の家康家臣で、関東郡代の伊那忠治が荒川改修・新田開発を行うために土屋陣屋を作り居住したもの。家臣の永田氏がこれを拝領し現在にいたる。
 伊那氏は1万石を賜り、1642年に赤山陣屋を築いてそこへ移った。伊那氏は1792年に断絶となったが、江戸時代後期の作といわれる長屋門と堀・塀などが残って伝えられている。




 

 


 伊那忠治は戦国武士の代表のような遍歴の人物です。三河の国小島城主の伊那忠家の嫡男として生まれた。三河一向一揆に加わり出奔。長篠の戦いで陣借りして従軍し帰参が許される。 家康嫡男信康付けであったので、その自刃とともに再び出奔。 堺にいたときに本能寺の変が起こり、家康の伊賀越えに貢献して再び帰参。家康の関東移封後は関東の代官として活躍。各地に検地、新田開発、河川改修を行い幕府の財政基盤構築に寄与した。備前渠や備前堤と呼ばれる運河や堤防はいずれも忠次の官位「備前守」に由来している。農民たちによく慕われたと云う。

 

      2020-12-29