ナチスの経済成長

 

 

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 1930年代後半のアウトバ-ン、自動車と公共事業に力をいれた


  あのもっとも民主的なと云われるワイマ-ル憲法のなかで、なぜナチス政権が誕生したのか?ということは兼ねがね疑問であった。

 渡辺惣樹さんの本に次のように(要約)述べられている。

 「1938年末でヒットラ-の評価の高かった所以は、ひとえにヒットラ-が見せた経済運営の手腕である。ヒットラ-はル-ズベルト同様に、1933年初めに民主主義制度を通じて政権の座についた。ヒットラ-は国家社会主義思想に基ずき、公共事業に国家予算を惜しみなく注ぎ込んだ。その成果は数字になって、たちまちに表れた。政権を取った33年に600万人の失業者は36年には100万人まで激減し、37年38年に至ると労働力が不足するまでになった。実質賃金も38年には32年比で14%の上昇をみせた、その間の物価上昇率は1.2%だった。 すべての階級の底上げをねらった。労働者を大切にした。8時間労働、超過勤務手当、職業訓練生産現場のリクレ-ション施設の充実に努める。企業経営者の所得も大幅に改善した。この期間に50%の所得増という。GNPの成長は11%にもなる。低所得者の税率は4.7%であった。それに伴い国民の旺盛な消費がおこり自動車所有率は3倍になる。ナチスは国民に約束した豊かさを実現して見せた。」

 日本において、ここ30年の足踏みのなかで安部首相が成し遂げた成果は、ナチスと比べればゴミのようなものだ。 それでも日本のなかでは、最近の安倍政権の相対的な評価は高いのでしょう。今でも世論調査では50%近い彼への支持があるという。
 中国の独裁政権が続くのも日本の人口位の億の中産階級が誕生したからであろう。 経済的な成果を出すことがいかに政治にとって重要かが分かるものです。

 個人的な考えではあるが、民主主義は衆愚政治が本質であり、いかに脆弱なものであるかを知る必要があります。 民主的なことを利用してそれを破壊する民主的でない組織が生まれる可能性があります。それゆえに、政党要件に民主主義に必要な本質を否定するものには制限をつけることが、民主的なことを否定するものではない。

 塩野七生さんの「ギリシャ人の物語」を読むと、わずか70年のアテネの民主政アテネの経済発展と伴にあり、経済の衰退とともに終わった。 その民主政が最も機能したのは良い指導者が民を指導した時で、衆愚にまかせたままではソクラテスを殺し、アテネは滅んでしまった。

 ソ連の5か年計画、ナチスの4年計画、中国の最近までの成長は独裁を支えた。30年手をこまねいていた日本には何故か彼らの成長を説明してくれるものは無いのかと思う。

 何千万人を殺してしまう彼らを決して肯定できないけれど、その後の悲惨さを含めて彼らの成長を述べてくれるものはないものでしょうか。

 


 ドイツと世界関連 年表 1933-1938

 1933
1月30日  ヒトラーが独首相に就任、ナチス政権獲得 (失業者600万)
2月1日 ドイツは第1次4か年計画発表
2月20日   作家小林多喜二治安維持法違反容疑で逮捕される。東京・築地署に留置され特別高等警察の拷問により虐殺される。
2月24日 国際連盟が日本軍の満洲撤退勧告案を42対1で可決。松岡代表退場。
2月27日 ドイツ国会議事堂放火事件。ワイマ-ル憲法で成立した基本的人権はほとんど停止
3月4日  フランクリン・ルーズベルトが第32代米大統領に就任。ニューディール政策始動。
3月24日 独国会で全権委任法可決され、ナチス独裁が確立
4月19日 米国で金本位制停止
5月2日  独は労働組合を解散しドイツ労働戦線に1本化
5月31日   日本が中国国民党との間で塘沽協定を結ぶ(満州事変の終結
7月15日 ドイツは強制カルテル法 同業によるカルテル設立の強制
9月13日 ドイツは帝国食料団体設立法による分野別の経済団体設立
11月16日 ドイツは価格停止令布告、価格と原価の管理を国が行う
11月17日 米国、ソ連を承認
12月5日  米国で憲法修正第21条批准 (禁酒法廃止)

 1934
3月1日   満州国にて帝政実施。執政溥儀が皇帝となる。
5月以後   東北地方を中心に冷害と不漁が相次ぎ、その年の同地方は深刻な凶作となって飢饉が発生した
8月19日   独国民投票によりヒトラーの総統という地位が承認される( 1945年)
9月18日  ソ連国際連盟加盟
10月15日   中国工農紅軍が瑞金を脱出し長征を開始
12月29日   日本が米国にワシントン海軍軍縮条約の単独破棄を通告。 ヨシフ・スターリンの「大粛清」が始まる。

 1935
3月16日   アドルフ・ヒトラーヴェルサイユ条約を破棄し、ナチスドイツの再軍備を宣言、徴兵制で86万人兵役、失業問題解決
8月12日  永田鉄山暗殺事件(相沢事件)
10月3日  イタリアがエチオピアへ侵攻開始(第二次エチオピア戦争)
12月9日 第二次ロンドン海軍軍縮会議開催

 1936
1月15日 日本がロンドン海軍軍縮会議から脱退
2月26日  二・二六事件勃発
3月7日 - ドイツがラインラントに進駐
5月7日  立憲民政党斎藤隆夫の粛軍演説
5月18日 阿部定事件、 軍部大臣現役武官制復活
7月17日  スペイン内戦勃発

8月1日 ベルリンオリンピック
11月3日 アメリカ合衆国大統領選挙フランクリン・ルーズベルトが再選
11月25日   日独防共協定締結
12月12日  西安事件

 1937
1月9日  トロツキーが第二の亡命先であるメキシコに到着
1月13日  スペイン内戦: 反政府軍が領海に機雷を敷設し海上封鎖
1月25日  宇垣一成に組閣命令
4月26日  スペイン内戦中、ナチス・ドイツ空軍がゲルニカを空襲
6月11日  ソ連、トゥハチェフスキーがスターリンに粛清される。翌年まで赤軍大粛清
7月7日  盧溝橋事件。これが発端となり日本国と中華民国間に、日中戦争が勃発
10月5日 国際連盟、諮問委員会で日本の軍事行動を九カ国条約・不戦条約違反とする決議採択
 米国のフランクリン・ルーズベルト大統領、シカゴで侵略国を批判する「隔離」演説
11月6日  日独防共協定成立


 1938
1月3日  女優岡田嘉子が杉本良吉と共に樺太国境を越えてソ連に亡命
1月16日   近衛文麿首相、「国民政府を対手とせず」の声明(第一次近衛声明)。トラウトマン工作打ち切り
3月13日  ナチス・ドイツオーストリアを併合
3月17日   ポーランドリトアニアに対して48時間以内に国交を樹立する旨を要求する最後通牒を提示。
3月  樋口季一郎ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ難民をソ連のオトポール駅で受け入れる決断。オトポール事件
4月1日  日本、国家総動員法公布
7月3日  ドイツで「KdF-Wagen」(のちのフォルクスワーゲン・タイプ1・通称ビートル)発表
7月11日   張鼓峰事件勃発( 8月10日)
7月15日   1940年東京オリンピック開催権を返上。
9月29日  ミュンヘン会談(〜30日)でドイツにズデーテン地方(チェコ)割譲が決定
10月2日  ポーランドチェコスロバキアのテッシェン地方を占領
10月27日  日本軍、武漢三鎮占領
11月9日  ドイツでユダヤ人迫害開始(水晶の夜)
12月4日   日本軍、重慶爆撃開始


    2020-2-22