大村氏は、古代平安時代に藤原直澄が四国から移り住み大村氏を名乗ってから、中世の戦国時代、江戸時代から幕末、明治維新にいたるまで絶えることなく大村地方を治めてきた、非常にまれな大名という。
大村城・玖島城が築かれると、その周辺に新たな町が整備され、藩主の側近など家臣が移ってきました。こうして、玖島城下に武家屋敷街ができました。武家屋敷街は城を中心に5つの通りが作られ「五(ご)小路(こうじ)」と呼びました。 [本小路][上小路][小姓小路][草場小路][外浦小路]の五つです。
二万七千石の余り大きな藩でないので、徒歩で城下町の風情を味わうことができる。
下記写真の概ね位置図
1. 草場小路
岩永家や長与家など五家があった、円融寺もあり。
円融寺 庭園
円融寺には大村37志士の墓がある
2. 上小路・うわこうじ
針尾家や浅田家などの家老屋敷も多く重臣の屋敷が多かったようです。幕末には、斎藤歓之助が開いた剣術道場「微神堂(びしんどう)」もあった。
斎藤道場跡
上小路
3. 本小路
大村藩会所・五教館・上級家臣の屋敷が並び、大村五郎兵衛・大村翁助など、幕末には14戸の屋敷があった。
五教館御成門
稲田家 家老屋敷跡 愛宕山東側にある 今は人は住んでいない模様
4. 小姓小路・こしょうこうじ
小姓衆が住んだ通りであることから小姓小路と名付けられました。後には、小姓衆だけでなく、他の家臣も住んでいた。
小姓小路 案内板
小姓小路
中尾元締役旧宅 伊能忠敬の測量助手を務めたという
5. 外浦小路・ほかうらこうじ
大正時代に師範学校が建設された際に、通りの大部分が消滅し、通り自体がわかりにくくなっています。現在では大村園芸高校が建っている。
外浦小路 石碑
港内の垣根の奥に石垣が見えるが、屋敷跡の名残か?
2022-12-27