西郷・隠岐騒動

西郷・隠岐騒動

  



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 隠岐諸島



 ヨットの航海において、隠岐諸島へは何か行く目的がないと、本土側を航行してそこをスル-されてしまう。 小生も何度かチャンスがあったが行けずしまいであった。

 今回の春巡航は、母港岡山に向かう新幹線の中で、九州へクル-ズする予定を急に変更して、何も下準備のないまま隠岐へ行くことを決めた。 その理由は九州一周をするプランのなか、その航程が長いのでレグを春と秋に分けることになる。春レグの終わりに天草のマリ-ナに、秋まで短期係留になることに不安を感じたからである。 そのことは、マリ-ナ係留中に台風シ-ズンにぶつかり、天草に本人が滞在しないで台風に対処するのは難しいかなと不安に思ったのが大きな変更の理由となった。

 それゆえ隠岐に行くことにした。また、ここでもよく維新のことを取り上げている。その中に長州などで結成された諸隊をアップしている。

  神機隊と芸州の諸隊

 諸隊について調べていると隠岐正義党のことを知り、ここでそれを取り上げた。 現地の隠岐を訪ねれば、もう少し何かわかるのではないかと考えてヨットで訪ねることにする。他にも海士町での先進的な漁業の取り組み、島留学と島移住の話とか興味をもった。



 本土の七類で隠岐に渡る風待ちをした。日和を見て隠岐へ航海する。 

  さて、西郷に着いた。観光案内所で隠岐騒動のことを尋ねる。 隠岐正義党に関しての資料は持っていないようだ。 観光案内所でもそのことに詳しくない。 自分で探すしかなく、レンタサイクルで市内を廻った。 現在のドラッグストアの近くに隠岐騒動勃発碑の石碑を見つけた。ここは松江範の陣屋跡でここに島民が囲んで明け渡しを求めた。

 日露戦争でのロシア人墓地をさがしているなかで、運動公園に報国記念碑があるのを見つける。 それは隠岐騒動で14名の同志や日清戦争までの戦死者祀っている。 この地は幕末の頃の練兵所があったところだ、騒動の時に島民3000人が集合した地である。 小生が騒動に関して見ることができたのは、この2つのみであった。



  自宅に帰って調べてみると、「隠岐騒動の史跡を訪ねて」というパンフレットを見つけた。これこそ現地で欲しかったものだ。 西郷で風待ちで8日余りも滞在したので、このパンフレットに載っている各地とその付近には行っている。 惜しいことをしたものだ。

 仙崎では「金子みすず」、隠岐は「ジオパ-ク」1本に染まっていて他のテ-マには目もくれない一辺倒の状況だ。観光政策も幅広さをもっと持ってほしいものだ。 ジオパ-クと言っても、ぶらタモリではあるまいし、地学好きの人がここへ集まるわけではないと思う。 観光案内所は知識が浅いことが多いようなので、やはり歴史的なことについては教育委員会で尋ねてみるべきだったと後になって思う次第である。

 隠岐クル-ズは少しの不満を残すことになった。急遽航海計画を変更した調査が不十分な計画にもその責任がある。 ホンダワラの絡みに苦しんでも、目的港以外の避難港が考えられていないので、難儀な航海をするハメになったも自分のせいである。。

 

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 隠岐騒動 西郷         自宅に帰って見つけた資料



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 隠岐騒動記念碑、  松江藩の陣屋があった



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 記念碑説明板



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 報国記念碑  同志14人が祀られている



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  日露戦争 ロシア軍人戦没者墓地



 

     2022-8-12