深谷散歩

      深谷散歩


 青点は散歩行き先


  ゴ-ルデンウイ-クの谷間の4/30に渋沢栄一の故郷深谷を訪ねた。 JRの駅にしてはお金をかけている深谷駅に着くとすぐにホームから東京駅風の駅舎が眺められる。

 JR深谷駅


 駅中にある観光案内所でレンタサイクルを貸しているところを訪ねる。 2か所あるようだが10時代では深谷シネマにあるところを紹介された。 徒歩5分くらいの場所で元映画館にある土産物屋で貸してくれた。 市役所の横を抜けて深谷城をめざす。  城跡公園になっている場所で模造の塀があるようであるが重みは感じられない。 中学生が公園のあちこちで写生を行っていた。

 

 深谷城跡公園

 埼玉県立深谷商業高校


 深谷上杉氏がここ深谷城へ移る前の城である庁鼻和城(こばなわじょう)へ行こう。 その途中で立ち寄ってみたいような深谷商業高校の校舎が見られた。 その城跡は現在は国斉寺になっており本殿裏に土塁が見られる。大手門と物見櫓の跡は見つけられなくて訪れていない。

 

 

 国済寺にある案内標識



 次は東方城である。 263号線をサイクルして北上するが危うく通り過ぎそうになり戻る、少しは城跡の地形を見極める力が少しあった。 城跡の案内様式を見つける。 その横にある土塁に上る。 城域は保育園の一部らしくかすかに園児の元気な声が聞こえた。 土塁は続いており2m程度の幅残っていた。

 土塁


 続いて皿沼城に向かう。 そこは標識だけで城跡の感じはしない。 明治になって煉瓦の粘土採取のために土塁などが利用されたという。

 皿沼城の標識と借りたサイクル


 いよいよ尾高淳忠と渋沢栄一の生家を訪ねよう。  道案内はスマホのマップに頼っていた、まだ習熟していないらしく反対方向へ行ってしまう。そこで、作業中の市役所の人に尋ねる。 かなり時間を要して尾高惇忠の生家に着いた。  ボランテイアのガイドさんより30分ほど詳しい説明を受けた。 なぜ討幕の尊王攘夷の志士が彰義隊や振武隊に入り幕府を擁護する立場に変わったのか質問を用意していたが、先の人が長引いていたので、ガイドさんいに聞かずに立ち去るこになる。


 尾高惇忠生家  無料

  渋沢栄一記念館と中の家は公園沿いの川に並んであった。 記念館ではアンドロイドとかいうロボットが展示されていて、本物のように動くのに驚かされた。

 

 渋沢栄一記念館 無料


 尾高惇忠の生家と比べて渋沢栄一邸は一万両の取引があった農・商家であったので倉も大きくさすがに豪農・大名主の家という感じであった。 父親が傾いていて困ったこの家に養子に来て一代でここまでになったのはスゴイことです。

 渋沢栄一生家 中の家(なかんち) 無料

 


 予定していた岡部城と岡部藩陣屋跡へは午後4時半までのサイクル返却に間に合わせるためにそこへ行くのは断念した。 欲張りすぎるプランであったとも言えるのでしょう。帰りは4時半の期限までに自転車を返すのに大急ぎでこいでしまった。 片方の太ももがツリそうになってしまう。


      2021-5-6