黒山城・倉敷
黒山城付近図
本太城を訪ねてバスにて黒山城へ向かう。( 水島臨海鉄道の福井と浦田が最寄りの駅になる) いつものように城位置をグーグルmapを使用してスマホに表示して山道を登る。 携帯の山上アンテナ施設があるだけで城跡の気配はない。ふもとに降りて地元の人に尋ねた。 子供の頃にはそこで遊んだことがあるということで親切にも入り口まで案内してくれた。
胸まで届く高さのあるヤブを手で折り分けて進む。 とげのある蔓が混ざっているので時々ささって痛い。 木の生えていない日光が当たる場所がこのような植生になるようだ。搔き分けカキワケ40m位進んで木立になりブッシュを抜けた。
ご注意!
Googleマップで城跡までのル-トは点線で表示されるところ、主にふもとから山頂までであるが、単なるル-ト表示であり、山道・登山路を示しているのでないことに注意が必要です。
入口付近のブッシュ状態
縄張り図
現在は倉敷市の街中にあるけれどもそこは海と湿地に囲まれた要害であった。 毛利氏と三村氏、宇喜多氏との戦いがあったようだ。 案内板もないのだが、それにしては土塁、堀、桝形虎口などよく残っていて、今秋の城廻では一番のものであった。
かって島であった児島の北西端にある黒山城。西の連島とは海峡があった。
堀
所々に多くのお地蔵さんが忘れられたように建っていた
お地蔵その2
2020-12-24
Googleマップで城跡までのル-トは点線で表示されるところ、主にふもとから山頂までであるが、単なるル-ト表示であり、山道・登山路を示しているのでないことに注意が必要です。
入口付近のブッシュ状態
縄張り図
現在は倉敷市の街中にあるけれどもそこは海と湿地に囲まれた要害であった。 毛利氏と三村氏、宇喜多氏との戦いがあったようだ。 案内板もないのだが、それにしては土塁、堀、桝形虎口などよく残っていて、今秋の城廻では一番のものであった。
かって島であった児島の北西端にある黒山城。西の連島とは海峡があった。
堀
所々に多くのお地蔵さんが忘れられたように建っていた
お地蔵その2
2020-12-24