新居浜の城 富留土居城・岡崎城・金子城
秀吉の命を受け四国討伐の軍を小早川隆景らは新居東の国領川東の宇高,沼津の浜に上陸し、高橋氏の守る「富留土居城」を攻め、続いて藤田山城守義雄の守る「岡崎城攻」略し、金子元宅の「金子城」の留守を守る対馬守元春を攻略した。この戦いは天正の陣の一部になる。降伏をせずに戦ったのはこれらの城の戦いだという。 ちなみに四国の瀬戸内側の城では小早川の名はよく耳にする名前ではある。
伊予大島より新居浜マリ-ナへ
小生は伊予大島より新居浜マリ-ナにヨットで上陸して、これらの城を探索した。 マリ-ナより徒歩でGoogl mapを頼りにして富留土居城を目指した。ショ-トカットをしたつもりが、いつのまにかJR多喜浜駅に着いてしまう。 道に迷ったようだ、滅多にないけれど、今日はタクシ-での小早川隆景のたどった城廻りとなった。 大名旅行とはこのことか。 運転手も富留土居城を知っているわけではないので、スマホのマップでそこに接近しているかどうかを、こちらが指示しながらの探索となった。 城跡と思われる地点でタクシ-を止め、そこは住宅地で何もない。 庭先におられた住民に聞いてみると、その横(下記写真)にあるとのことであった。 なんと新御城主様にお尋ねした次第であった。 その石碑は突然に10数年前に建てられたものだそうである。
石碑と案内板
富留土居城は堀と土塁を囲った平城で現在は住宅地に開発された。 秀吉の時代まであったお城にしては何も残っていないのは珍しい。
次は岡崎城に向かう。運転手さんはここへは小学校の遠足で来たという。 JRの線路わきの地で西側を国領川で守っている。
岡崎城の由来
主郭のある山頂には入り口がわからずに行くことが出来なかった。 曲輪の跡や竪堀、堀切、石垣が見られるという。 ふもとにある宝篋印塔や鉾前神社にはいくことが出来た。
縄張り図 城郭放浪記より
宝きょう印塔 薬師堂 城主の藤田山城守の建立?と言われる
鉾前神社
待たせてあったタクシにより金子城に向かう。 ふもとは池を挟んだ公園になっている。
金子城跡石碑
金子氏は埼玉入間郡金子郷から地頭として新居へ下向した。この城は金子広家により築城されたと言い、天正の陣のころには長曾我部にこの地は安堵されていたので小早川隆景に攻められて落城した。 本丸に石碑が建つのみで他の遺構は見つけられなかった。 80mほどの山城ゆえにタクシ-で第2展望台まで乗り、そこから本丸までの徒歩は下から歩いてきたのに比べれば楽なものであった。帰りは急な階段が下まで続く他の道を降りたので、徒歩10分ほどで着いた。
本丸から新居浜を望む
2020-11-28