喜入城(給黎城)と喜入旧麓武家屋敷
喜入は石油タンクが多くあり、沖にはそれに石油を運んで来た大きな大きなタンカ-が見られる地である。 給黎城は肝付氏の居城で会ったが、1411年に伊集院氏の所領となり、さらに1414年には島津久豊がここを攻略した。 この時に喜入と地名を改めた。1595年に肝付氏が入場し1653年に廃城となる。
給黎城は東へ伸びた3つの尾根にそれぞれ曲輪を設け、北之城、本丸、南ヶ城(下図参照)と呼ばれる。 現地を訪れたが明確な確認はとれなかった。
城下町には水路があり、今でも麓武家屋敷として見ることが出来る。
給黎(きいれ)城
麓から給黎城を望む
堀切、土塁
2023-7-21