知らぜらるスミルナでの日本船による難民救出

 

    東慶丸による難民救出

 

 トルコは第1次世界大戦に敗北してセ-ブル条約を結んだ。 この時にはオスマン帝国は広大な領土を失い、アルメリア独立とイズミ-ル付近をギリシャに割譲した。 ギリシャはこの期に乗じて古来の領土を回復すべき小アジアに進軍して希土戦争(1919-1922)を始めた。ケマル・パシャ率いるアンカラ政府にギリシャは敗北して条約で得た領土を失った。

 スミルナ(イズミ-ル)までトルコ軍に押し込まれたギリシャ人やアルメリア人は虐殺を逃れるべく難民と化した。その人々に対して欧米諸国は自国民を優先して乗船させた。 スミルナ港内にいた日本船舶のTOKEIMARU(東慶丸)は甲板の積荷を投げ捨てて難民を乗船させた。トルコ軍の避難民の引き渡し要求にも船長は断固拒否して彼らを無事にギリシャへ届けたという。 最近になってアルメリアギリシャ大使館からそれを忘れずに謝意を告げられた。

 この事実を東洋大村田奈々子教授が研究されている。小生はそのPDFによる報告を読む。

 セ-ブル条約によるオスマントルコの分割

 スミルナの東慶丸  アンナ・バルダニャンさん提供

  かって船員をしていた時、ベトナム難民がボ-トピ-プルといって南シナ海を漂流していた時があった。 近海航路の船に乗船していたのでその海域には毎月のように航海していた。 自分が担当していた当直の時にそれを発見したことは無かった。 もし、彼らを見つけて船長へ報告し、船長が彼らを無視するような命令があった時には、それに抗して人道的な行動を取るよう諫言できたのであろうか。いささか自信がない。 

 戦前の日本の船乗りには立派な行動をとられた事績が多くあります。 ここで取り上げている陽明丸工藤俊作艦長ポ-ランド孤児救出ユダヤ人の救出などです。 エルトウ-ル号遭難救出の件でトルコは親日国と言われ、アルメリア、ポ-ランドもそのようであると云います。

 人道を掲げることに反対する人はいないけれど、その局面に立って行動することは容易に出来るものではない。 戦後70年経っても最近の人権弾圧国会決議ですら骨抜きのものになってしまうのが現実です。

  この東慶丸の船長の名前はまだ、明らかになっておりません。

   POF 村田教授の報告 記憶と歴史1922年のギリシャ正教徒難民のスミルナ

 

    2022-2-17