七類

2022年08月22日

 







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  七類港、 沖から入り口を探すのに苦労した、フェリ-が出入りすれば容易に見つかるが。





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  フェリ-乗場、   タ-ミナルに入浴施設有り



 七類港隠岐諸島へ行くのに拠点として利用した。 港湾局の事務所があり、そこに連絡する。 皆が云っているのですが、その係員の人は大変親切な人であると。 飲み水補給可能。 200円で入浴施設あり。 買い物と給油は不便である。

 町内バスが有り、乗り継いで堺港までいける。また、フェリ-の入港に合わせて松江や境港へ行く連絡バスがある。

 港が大きいのですがウネリが入る。3-4隻の遊漁船の停泊場所の後ろの限られたスペ-スに着けることになる。遊漁船の出入での引波の影響を受ける。 ここでの台風避難を考え港内の漁港のスペ-スを探したが適当なところが無かった。



 

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 係留地、  遊漁船の後方になる



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  七類港ヨット停泊、   赤丸は停泊地 xは余地なし 紫丸は台風向け



  

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 ここの台風避難場所は特別に許可がいるように思えます



 幸い台風は左半円になり大したことはなかった。 小生は七類港をあきらめて十六島で対策を取ることに決めてここを出港した。



    2022-8-23


 
 
 

温泉津

     温泉津

 

 

 

 赤丸は2回の停泊地 青丸はお勧め停泊地、  温泉津と沖泊、 付近の3つの城跡

 

  温泉津の温泉はヨットマンにも良く知られていて、山陰へクル-ズに行くと話すと温泉津への訪問を勧められます。 20代のはるか昔にいったことがあるので温泉のことは既に知っていました。 今回は隠岐への巡航で2回行き帰りここを訪ねる。 最初は温泉津港灯台を過ぎてホンダワラが絡み減速を強いられた入港となった。湾奥の漁協近くの防波堤の先に着岸した。そこで潜ってホンダワラの除去を行なった。 南寄りの風でここはウネリが入った。 帰りは入り口近くの物揚岸壁に着岸した。 温泉津は泊地に悩むところであるが、漁協との相談の上物揚岸壁と漁協岸壁の間にある防波堤の内側がウネリも防ぎ良い係留地になると思われる。 そこは漁具がたくさん置いてあるようですが、着けてもよいということです。  地図の青丸の位置。 

 

 

  ホンダワラを取り除いた



  1回目の停泊地



  2回目の停泊、  後ろはジャリの積み出しをしている




   沖泊湊、 鶴丸城、櫛山城、笹島城

 

 帰る間際になって、近くに城跡があることを知り。探して見た。ここは毛利氏の時代に石見銀山の銀を積み出す港に使われていた。 そこは現在の温泉津港ではなく湾先にある沖泊湊になる。 

 2回目に係留した物揚岸壁からトンネルを抜けて徒歩5分の近くに沖泊湊がある。 そこには細工の手の込んだ飾りがある恵比寿神社があった。それを見た時には、それが打ち捨てられたような集落にふさわしくないように思えた。ここが銀の積み出し湊であったことを知れば、往時の盛況さゆえに、その神社はここに在るのは納得のいくものである。 

 温泉の入り口に内藤家・庄屋屋敷がある。 関ケ原合戦の敗戦により毛利家が30万石に減封になった時に、ここの管理を担されていた内藤家は土着して庄屋を務めた。

 

 

  内藤家 庄屋屋敷



 

  恵比寿神社



 日本は江戸時代の前期の最盛期には世界の銀の産出量の1/3を算出した。その大部分を石見銀山が占めたという。大内・尼子・毛利とこの銀山を取るのに戦い、最終的には毛利氏に銀山は属した。 毛利氏はここを守るために内藤氏に鶴丸城を築かせた。

 

 下図のように、鶴丸城跡は温泉津港灯台のある岬にある。櫛島にある櫛山城と鶴丸城、また入り口の対岸にある笹島城の3つでこの沖泊を守っていた。いずれも時間的な制約があり、訪ねることができなかった。

 沖泊はヨット泊地として訪ねたいところである。櫛島の東側Aに小さい防波堤がありその内側にはつけられそうである。 錨泊や槍着けならもっとできそうである。 2回目の訪問ならここへ行けば良かったと思う。 年齢的にはもう無理そうなので、 若い方のここの訪問記でも読みたいものです。



 

  城跡と沖泊   赤丸はヨット停泊候補地






  恵比寿神社近くの停泊候補地B

 

 

          2022-8-21

 

姫島

2022年08月21日

姫島  九州への良い中継地

  



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  姫島 赤丸は停泊地



 九州の東側や関門海峡を抜けて北側に行く機会があったが姫島には今回の隠岐行きの帰りに初めて立ち寄った。 フェリ-岸壁の横に階段だ設置されている漁協前の岸壁に下記写真のように着けた。 日本海で20-30cm位の潮汐にここのところ慣れてしまったので、瀬戸内の2-3mもある潮汐には忘れていた記憶を思い出さされた。 その岸壁が高いという感想を覗けば、小ス-パ-、銭湯、ガソリンスタンドがあり不便はないようだ。


 

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 姫島の係留地




 暗くなるまでの間、姫島を歩いてみた。 ロ-カルな偉人の像や記念碑があった。 けれどこれにはよそ者には興味が湧かない。 庄屋さんの建物があった。 明治の時に村の有力者は郵便局長になったのでしょう。 その趣のある建物を見る。 ここは杵築藩の領地であり、その保護を受けていた大帯(おおたらし)八幡社がある。 その大松が目に留まったので写真を撮った。 この神社の祭礼に船曳行事にしようされる御神舟八幡丸の収納庫が見られた。




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  古庄家  村の郵便客を営んでいた元庄屋




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  大帯(おおたらし)八幡社にある松




      2022-8-20



萩城下町 その2

2022年08月19日

  高杉晋作の志

     
 JR東萩駅にて自転車をレンタルして、萩の城下町を散策した。それを松本川の右岸地区と左岸地区に分割して掲載する。


 参照   ぶらり はぎ散歩  地図    この散歩地図を見ながらサイクルしたので、 場所の位置詳細は左記の地図をご覧ください。


 これで萩の維新関連の場所は廻ることができます。 現地で手に入れると良いと思われます。





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 ① 御船蔵

 ② 旧山村家旧宅

 ③ 野山獄、 岩倉獄

 ④ 女台場

 ⑤ 繁沢家長屋門

 ⑥ 木戸孝允旧宅

 ⑦ 青木周弼旧宅地

 ⑧ 高杉晋作誕生地

 ⑨ 旧益田家物見櫓

 ⑩ 旧周布家長屋門

 ⑪ 北の総門

 ⑫ 旧厚狭毛利家 萩屋敷長屋

 ⑬ 口羽家住宅

 ⑭ 旧児玉家長屋門

 ⑮ 村田清風別宅跡

 ⑯ 久坂玄瑞誕生地

 ⑰ 旧田中別邸

 ⑱ 井上剣花坊誕生地

 ⑲ 渡辺萬蔵旧宅

 ⑳ 山形有朋誕生地

 ㉑ 旧湯川家屋敷

 ㉒ 桂太郎旧宅

 ㉓ 井上勝旧宅

 ㉔ 前原一誠旧宅

 ㉕ 堀内鍵曲

 



  街並み保存地区 浜崎



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  浜崎保存地区 ① ②





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 ① 御船蔵  藩主の御座船や軍船を格納した船倉、現在は埋め立てがあり川岸と離れている。4つの船倉   があったという。




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 ②  旧山村家旧宅   江戸時代後期の大型の町屋である。



 

 200石取りの岩倉が西隣の野山200石取へ酒に酔い切り込み殺傷事件を起こして、両家が取り潰しになりそれぞれ監獄となった。



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 ③ 野山獄  士分のあるものの監獄となる。 吉田松陰がここに投ぜられた





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 ③ 岩倉獄  庶民が入獄し待遇も悪かった、松陰と渡米に失敗して捕えられた金子重輔はここで獄死した




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 ④ 女台場  海防のための土塁築造に武士の妻や奥女中が参加したので女台場とよばれる




  重要伝統的建造物保存地区  堀内地区  侍屋敷地区

 三の丸のほぼ全域で藩の上級武士が住んだ。 明治になり多くの人が東京に住んだという。 今でも地元の人は堀内の住所だと上流の人だと思われるという。 ⑬ ⑭ ⑩ ⑨ ⑪ ⑭ 


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  堀内地区 三の丸




  同  武家屋敷区

 北の総門から堀之内を出て、菊屋横丁、伊勢屋横丁、江戸屋横丁に囲まれた地域. 200石程度の中級武士の居住区

  ⑧ ⑦ ⑥ 

 

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  武家屋敷地区



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 ⑤ 繁沢家長屋門  1094石取りの藩の要職




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  ⑥ 木戸孝允旧宅  



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 ⑦ 青木周弼旧宅地  蘭学医、シ-ボルトに師事、高杉晋作が痘瘡にを治療


 

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 ⑧  高杉晋作誕生地
 



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 ⑨ 旧益田家物見櫓  須佐に領地を持つ永代家老、禁門の変切腹





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  ⑩ 旧周布家長屋門  永代家老益田家の庶流、1530石取り





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 ⑪ 北の総門  3の丸(堀内)に入るための門、他に中の総門と平安古の総門とで城下町を分けた



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 ⑫ 旧厚狭毛利家 萩屋敷長屋  萩城の南すぐちかくにある、厚狭毛利家の武家屋敷、8371石を領す、





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  ⑬ 口羽家住宅  江戸藩邸の門を移築した、永代家老に次ぐ家柄





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  ⑭ 旧児玉家長屋門  2243石取り、




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 ⑮ 村田清風別宅跡  藩政改革を行い、その財力が維新への原動力となった





 

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 ⑯ 久坂玄瑞誕生地  松陰に学び絶賛されたが禁門の変で死す




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  ⑰ 旧田中別邸  26代総理の田中義一の別邸  





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 ⑱ 井上剣花坊誕生地  明治3年に生まれ川柳で活躍



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  ⑲ 渡辺萬蔵(わたなべこうぞう)旧宅  天野清三郎ともいい、松陰に学び、尊王攘夷の運動に加わる、米英に留学して造船を学ぶ、  



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  ⑳ 山形有朋誕生地



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   ㉑  旧湯川家屋敷   藍場川が邸内に流れている、城下に行く水を管理していたという




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  ㉒ 桂太郎旧宅  桂太郎が少年時代にここで過ごした、建物は明治42年に移築されたもの




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  ㉓ 井上勝旧宅   長州ファイブとして英国に渡り、鉄道の父として活躍



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  ㉔ 前原一誠旧宅  前原の表札があったが、見学できないようです。静かな佇まい




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  ㉕  堀内鍵曲 (かいまがり)  侵入した敵を迷わせるもの



   萩城下町 その1



   2022-8-19

萩城下町 その1

萩城下町 その1

      

  JR東萩駅にて自転車をレンタルして、萩の城下町を散策した。それを松本川の右岸地区と左岸地区に分割して掲載する。



    参照  ぶらり はぎ散歩 地図   この散歩地図を見ながらサイクルしたので、 場所の位置詳細は左記の地図をご覧ください。

     これで萩の維新関連の場所は廻ることができます。 現地で手に入れると良いと思われます。  



   本川の右岸地区 松陰神社など



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  松本川右岸地図  松陰神社など



  以下を自転車で見てきました。


 ① 松陰神社松下村塾吉田松陰旧宅

 ② 松浦松洞誕生地

 ③ 品川弥二郎誕生地

 ④ 吉田稔麿誕生地

 ⑤ 伊藤博文別邸

 ⑥ 玉木文之進旧宅

 ⑦ 東光寺

 ⑧ 山田顕義誕生地

 ⑨ 楫取素彦旧宅

 ⑩ 郡司鋳造所跡

 ⑪ 萩反射炉

 ⑫ 恵美須ケ鼻造船所跡

 ⑬ 吉田松陰誕生地

 

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 ① 松陰神社、 ここに塾や旧宅がある



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  ① 松下村塾 半世紀前に訪ねたがこの場所にあったのであろうか?



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  ① 吉田松陰幽囚の旧宅



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  ② 松浦松洞誕生地、  松下村塾生、 松陰の絵を残す、 尊王攘夷志士の弾圧に抗議して切腹した

  



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  ③ 品川弥二郎誕生地、 見逃して通り過ぎる、  松下村塾生、高杉晋作木戸孝允山田顕義らと維新に貢献、明治になり欧米に6年間留学



 

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 ④ 吉田稔麿誕生地 池田屋事件で討ち死に、 松門4天王




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  ⑤ 伊藤博文別邸  



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 ⑥ 玉木文之進(たまきぶんのしん)旧宅、  松下村塾創立者、松陰の叔父、松陰と乃木希典を厳しく教育、前原一誠の乱で責任を取り自害。



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  ⑦ 東光寺  毛利家の菩提寺





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  ⑧ 山田顕義誕生地、 松下村塾生、大村益次郎から学ぶ、禁門の変で敗北、高杉晋作功山寺挙兵に参加、戊辰戦争西南戦争に活躍、司法大臣に就任し法典整備に尽くす、伯爵、 日大の学祖、



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  ⑨ 楫取素彦旧宅



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  ⑩ 郡司鋳造所跡、 幕末には大型大砲の鋳造


 

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  ⑪ 萩反射炉, 試験炉であった模様、




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  ⑫ 恵美須ケ鼻造船所跡、 1853年の大型船建造の解禁により、1856年に伊豆戸田村の棟梁が萩に派遣されここに造船所を建設、丙辰丸、庚申丸、


 


 
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  造船所見取り図


  




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  ⑫ 吉田松陰誕生の地









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  萩焼の登り窯があちこちで見られる




     2022-8-18





 
 
 

浜田城

浜田城

  


 浜田城は吉田重治が大坂の陣の功により伊勢松坂より石見浜田5万4千石へ転封されてこれをを築城した。 現在の浜田の町は浜田川を越えた地域に大きく発展している。 当時は北前舩の寄港地松原湾・外ノ浦を北の備えとし、西と南は浜田川に囲まれ、東に内堀と外堀を設け侍屋敷と城下町を置いた堅固な城であった。 古田家は1648年に改易になりその後は譜代の大名が幕末まで続いた。 長州藩の抑えとして福山城とともに役割を担った。

 第2次長州戦争の戦いで大村益次郎に攻められ、城を自ら焼いた。




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  浜田城と北前船の寄港地外ノ浦・とのうら 



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 浜田城の資料館の奥には本丸へ行く登城口がある。 登っていくと護国神社がある。 司馬遼太郎が書いた碑文があるけれど、後で分かったことでそれを見ず。 門があるがこの城とは関係のない県庁から移築されたもの。 本丸跡にたどりるける。 3重櫓の天守があったという。 少し下って2の門跡にでる。 井戸跡と中の門跡をみると山を下った感じだ。 大手門跡は見なかった。


 

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 浜田城資料館、  御便殿(ごべんでん)、大正天皇の宿泊にたたられた  




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 護国神社



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  本丸 説明板



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  2の門跡  2の丸にはこの門と焔硝蔵があった




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  井戸跡




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  中の門跡  東正面の重要な門




 松原湾は天守より眺めることができて、その地形を見ると外ノ浦は北前舩の風待ちの湊であり、城も近く交易と防御を兼ねた重要な地点であると分かる。




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  浜田城から見た 松原湾・外ノ浦




    2022-8-15


浜田

 浜田



  浜田 大きな港湾スペ-スがある

 

 江崎を出て次は浜田だ。 浜田の港はとてつもなく大きい。 どこへ着けるか迷う程である。 浜田マリン大橋(高さ 18m)を抜けて神社前の予定係留地をめざした。 そこは漁船がゆったりと付けているので、窮屈な操船を迫られる覚悟をした。 その時にその漁船から手招きで横抱きしろと合図を受けた。 ありがたいお招きなので横付けさせてもらう。 夕方に一杯やることになり名刺交換をすると廻航業務をしているのヨット乗りの方であった。 小生は恩知らずのようで2019年春巡航のの折、ホンダワラがペラに絡みアップアップしていたところを見つけて延岡までえい航していただいた秋実さんであった。すっかりそのお顔を忘れていた。 彼は鹿児島から鳥取まで漁船を廻航している途中で風待ちをされている処であった。 翌日天候が回復して朝出発してその日のうちに仕事を終えられたと連絡があった。



 秋実さんにえい航された





  赤丸は停泊地  マリン大橋は白い鉄塔のように遠い沖から見つけられる、顕著な構造物である。




 2回目はスペ-スが空いていた、 今度は外ノ浦に行きたいものだ




 浜田の停泊地 遠景



 浜田は大きな町ゆえに大型ス-パ-、ス-パ-銭湯、ガソリンスタンドがある。




  小生は翌日には浜田を見学するために留まった。 浜田城を見てきた。

 

         2022-8-14