浜田城

浜田城

  


 浜田城は吉田重治が大坂の陣の功により伊勢松坂より石見浜田5万4千石へ転封されてこれをを築城した。 現在の浜田の町は浜田川を越えた地域に大きく発展している。 当時は北前舩の寄港地松原湾・外ノ浦を北の備えとし、西と南は浜田川に囲まれ、東に内堀と外堀を設け侍屋敷と城下町を置いた堅固な城であった。 古田家は1648年に改易になりその後は譜代の大名が幕末まで続いた。 長州藩の抑えとして福山城とともに役割を担った。

 第2次長州戦争の戦いで大村益次郎に攻められ、城を自ら焼いた。




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  浜田城と北前船の寄港地外ノ浦・とのうら 



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 浜田城の資料館の奥には本丸へ行く登城口がある。 登っていくと護国神社がある。 司馬遼太郎が書いた碑文があるけれど、後で分かったことでそれを見ず。 門があるがこの城とは関係のない県庁から移築されたもの。 本丸跡にたどりるける。 3重櫓の天守があったという。 少し下って2の門跡にでる。 井戸跡と中の門跡をみると山を下った感じだ。 大手門跡は見なかった。


 

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 浜田城資料館、  御便殿(ごべんでん)、大正天皇の宿泊にたたられた  




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 護国神社



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  本丸 説明板



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  2の門跡  2の丸にはこの門と焔硝蔵があった




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  井戸跡




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  中の門跡  東正面の重要な門




 松原湾は天守より眺めることができて、その地形を見ると外ノ浦は北前舩の風待ちの湊であり、城も近く交易と防御を兼ねた重要な地点であると分かる。




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  浜田城から見た 松原湾・外ノ浦




    2022-8-15