2.  山形城 ・  霞城、霞ヶ城

   

  仙台から山形へ

 仙台から山形へはJR仙山線に乗った。 途中の愛子(あやし)までは通勤利用が多いようで便数が多い。山形へは時間に1本ほどである。東京近郊の人間には遠くは無くて地元から東京へ行く通勤の距離のような感じがした。

 山形城へは線路わきに外堀が隣接しているので5分ほどの徒歩圏である。

 城郭構造の基礎は、最上義光の時代につくられ、鳥居忠政の時代に現在の形に整えられたものである。江戸時代には山形藩の政庁が置かれた。現在は、武家屋敷群のあった三の丸が市街地化しているが、本丸、二の丸跡が霞城公園として残されている。

 

  山形城の縄張り

  駅の東口に出て3の丸土塁跡へ、3の丸は総構えというのか商人街を土塁と門で取り囲んでいる。今回は大きすぎて見られなかったがその跡がの残っているようだ。62万石の仙台城は城塞のようなものであるが、ここは57万石であるけれど全てを囲んだスゴイものになっている。

 七日町の水の町屋 御殿堰を見て2の丸東大手門に至る。 二の丸南大手門、二の丸西不明門、二の丸北不明門と坤櫓・ひつじさるやぐら櫓、坤櫓・ひつじさるやぐら、艮櫓・うしとらやぐらを堀に沿って歩き本丸一文字門より本丸に入った。 



  3の丸土塁

 


  七日町の水の町屋 御殿堰、 大きくはなく小さな一角である

 



  二の丸東大手門橋

 

 

 二の丸東大手



  二の丸南大手門

 

 

  坤櫓・ひつじさるやぐら

 



  二の丸西不明門

 ここと北の2の丸門は名称が不明となっている。教育委員会は古文書を丹念に当たってみてくださいな。

 

 二の丸北不明門

  

  肴街向櫓・さかなまちむかいやぐら

 

 

  艮櫓・うしとらやぐら

 

  

 

 本丸一文字門

  

 本丸御殿跡

 本丸はこれから御殿の工事が行われるのか前なのか見るべきものがなかった。



  本丸外側土塁と堀

 


  屏風折れ土塀礎石

 折れ曲がりが設置されており、この場所からは左右の敵をも攻撃することができます。より防御力を高めた土塀

 

 

   最上 義光(もがみ よしあき)1546-1614

 山形城で生まれる。伊達支配下にあった最上家を独立させる。山形を統一、いちはやく鉄砲軍団を組織する。 縁戚である伊達輝宗政宗と争う。関ヶ原の戦いにおいて東軍につき、慶長出羽合戦にて上杉家の直江兼続を退け、一代にして14-15万石から57万石の版図を築いた。善光の亡きあと、最上家は最上騒動と呼ばれるお家騒動のため、武家諸法度違反により改易となった。近江大森藩にわずか1万石をもって転封となる。

 

    2025-12-09