断夫山・ダンプ山古墳

    

 

 断夫山と熱田神宮の周辺

 

 成人になるまで住んだこの地域を揚げることになるとは。 断夫山古墳や熱田神宮は、小学校の時に自転車で行く蝉取りの場所です。半世紀以上も訪ねていないのでマップで見ていると小学校や中学校も地図に載っています。

 自宅から堀川にかかっている橋を渡って断夫山へ行きます。特に堀川の西岸は変化が大きいです。愛知万博の際にここらあたりは貯木場と国鉄の操車場がなくなり会議場や公園になったようです。

 そこでは、今考えれば危ない遊びをしていました。 貯木場の浮かんだ木を渡り歩いたり、 貨物車の車輪の間をすり抜けたりする遊びをしていました。 コラ-と大人から叱られなかったものです。当時の大人は寛容で子供の遊びに口出ししませんでしたね。懐かしさはこれくらいにして。

 白鳥古墳とダンプ山古墳はヤマトタケルとその妻の古墳と云われることがありますが、それぞれ尾張氏の首長の古墳と云われています。 断夫山は全国で3番目の大きさの前方後円墳です。 

 壬申の乱のときに尾張氏大海人皇子天武天皇を応援した。余り学校で尾張氏のことは学んでいないが、断夫山古墳の大きさから相当に有力氏族であったことがうかがえます。

 


 断夫山古墳



  白鳥古墳の中には入ったことはない。

 

 白鳥古墳  拝所

 

  愛知県を築いた古代豪族の正体!天皇家より格上だった尾張氏の隠された真実

  https://www.youtube.com/watch?v=lsdJpM1QgcY   20分

 

       2025-8-31