江戸の海運   東回り航路

    

  江戸時代の航路

 

 2025年の春巡航亘理町の荒浜へ行く。 この江戸時代の航路の知識はありませんでしたが、この地は河村瑞賢が開いた江戸時代の東回り航路の出発点であったのでした。 荒浜やその他の寄港地はには、来年の春までヨットを係留し、岡山の母港に帰ることになるので、その詳細を報告することになるでしょう。

 江戸は家康が開いた街で、開けていなかった土地に参勤交代で三〇〇藩に及ぶ武士とその家族が住むことになる。お米屋その他の日用品を外部から江戸に入れなければならなかった。 当時の輸送の大きな手段は海運によるものであった。 幕府天領の年貢米を阿武隈川を利用して東回りの航路にて運んでいた。 最初は銚子でいったん荷下ろしして利根川の水運を利用して江戸に運んだ。河村瑞賢はそれを海況の悪い房総を廻る航路ではなく、下田ないし大島周りで江戸に運ぶ東回り航路を開発した。

 彼は酒田から日本海を下り瀬戸内を通る西廻り航路も瑞賢は開発した。それは江戸中期以降に北海道へ向かう北前舩の航路に発展した。

  大阪から江戸へは上図のように菱垣廻船の航路や後に樽廻船の航路があった。

 

 弁才船・べざいせん、   300石罪から1000石へ時代とともに巨大化

 

    江戸時代の海運
  https://www.youtube.com/watch?v=Eaxl2-rGx80   22分

 

      2025-8-29