引田のまち図
引田には3度ほどヨットで入港したことが有る。引田城、井筒屋敷、引田古い街並み、翼賛温泉等を訪ねた。
蘇我稲目の娘・小姉君と29代欽明天皇との娘・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのみこ)は31代用明天皇との間に諸司巡行中、厩の戸口で厩戸王(聖徳太子)を難なく出産したという。 引田に馬宿川の地名がありこの付近で馬宿王を生んだのではないかと伝わる。皇太子として聖徳太子がなるがそのお膳立てとしてネストリウス派・景教のバックボ-ンを持つユダヤ系統の渡来豪族蘇我氏がもくろんだものであろう。キリスト誕生の云われと重なる地名の命名と姓名が残る。 聖徳太子は上宮太子とも呼ばれていました。上宮は、聖徳太子の居所を表しています。鮎喰川を挟んで対岸の気延庄に、聖徳太子の上宮があったという。 阿波気延庄に居所の上宮があり、廟所も眉山の麓にある。
山王宮・住吉神社
馬宿川の河口に小さな船溜まりがあり、そこに山王宮・住吉神社がある。 ここであばれだんじりの奇祭があるという。 藤原鎌足の次男の不比等に関する由緒碑を先の訪問の時に見つけ、小生は聖徳太子との関連の神社かと勘違いしたようだ。 不比等が86番志度寺を増築した際に立ち寄ったのであろうか「海女の玉とり伝説」に関連して家来の佐藤氏がここ引田に残りここを建立したという。馬宿と山王宮は関係がなかった。
由緒碑
2025-2-26


