忽那山城・くつなやまじよう

   忽那山城・くつなやまじよう、 銜山くつわやま城・轡山くつわやま城


  忽那山城の周辺地図

 

  田能村竹田三津浜図  1834年  忽那水軍史より転載

 

中島よりフェリーに乗り三津浜で下船。 タ-ミナルより南へ海岸沿いを歩く。 岸壁の倉庫、オイルタンクや工場を過ぎると小山のようなものが海に突き出ている、往々にして岬の端にそれがあれば城・砦跡であるのであるが、まさにそのとうりで忽那山城跡であった。 その周りを廻ったけれど案内板も登り口も見つからなかった。 衛生センターが大きく囲んでいる状況で見つけにくいわけである。


  忽那山城、 50mほどの高さである、 



 登り口と思われるところ

 

 第11代忽那重勝が1346年頃にこの地域を得て、忽那山城・砦を築いた。ここで九州関係の船の出入りを掌握した。

この城は元は島であった。この城の築城と共に北吉田の「大濱新田」が忽那一族のもとで開発された。その後松山藩により、戦中はあのB29と激闘した松山航空隊の基地として、戦後は工場用地として開発されてきた。

 

      2024-11-12