平田篤胤 、  日本のレオナルド・ダヴィンチ

 

 1776-1843

  幕末の歴史好きの小生はここで「松尾多勢子」をとりあげています。信州の伊那谷平田篤胤の信者が6割も占めたと云う。また、篤胤は彼女のような52歳(当時は今と違い大老人)が京に出て志士活動をさせるほどの大きな力を与えた。 幕末の志士は平田篤胤の大きな影響を受けている。

 まだ、小生は彼の著書を読んでいないので、ここに何かを書くレベルではないけれど、ファーストインプレションでも述べたいと思います。

篤胤は佐竹の秋田藩の大和田家の4男とし生まれる。

20歳にして江戸に出奔する。肉体労働をして苦学する。

25歳で備中松山藩士の平田家の養子となる。

26歳で綾瀬と出会い結婚する。本居宣長の没後にその著作を読み国学に目覚める。私塾を開き門人が3人から555人になる。

1812年・37歳の時に愛した妻を亡くす。会いたいゆえに霊界研究に向かう。

1813年対露危機に関して情報を集める、ロシア語辞書を編纂。

1818年・43歳 再婚。 1823年松山藩を辞す。

1824年中国やインドの経典類の考究。1831年以降暦日や易学に傾倒。

1838年故郷秋田藩への帰参が認められた。1841年暦制を批判して江戸追放、秋田藩に召し抱えられる。

1843年病没。

 著書が100冊もあるというが何を読めばよいのであろう。

 

   

  ロシアの脅威と江戸のダヴィンチ・平田篤胤|茂木誠   25分

    https://www.youtube.com/watch?v=46Uj_5kINmw

 

      2024-9-21