ユダヤ埴輪  柴山はにわ博物館

  

 

 東京駅より総武線・快速で千葉へ、乗り換えて総武本線銚子行きに乗車、JR松尾駅で降車。 コミュニテイバスの時間が合わなくてタクシーにて「柴山はにわ博物館」へ着く。 帰りも待ち時間が多くなったので、今度は成田空港第1ターミナルからスカイライナーで帰ることになった。 コミュニテイバスの時刻を調べておく必要が大事であった。 「柴山はにわ通り」には成田空港行きシャトルバスがあるので、殿山古墳を先にするのもありかも。

 

 柴山マップ

 

  「日本とユダヤの古代史&世界史」を読んでいたので、さっそく柴山のはにわ博物館」へ行きました。 「ひげの武人はにわ」とも云われていますが、確かに顔の表情と云い独特のユダヤまげを結んでいることなど小生には「ユダヤ人はにわ」と実見・実感した。

 

 姫塚古墳出土、  人間と同じくらいの大きさがあり意外であった



 姫塚古墳出土、 「馬のはにわ」も出土

 

 この殿塚と姫塚の古墳は古墳時代後期の6世紀に築造されたという。 ユダヤ人渡来の5つの波(前著より)それの第4波や第5波の渡来人がここで定着・同化したと云えましょう。 その時代を年表で見てみよう。

 応神天皇の時代新羅の妨害で足止めされていた弓月君の2万人をに受け入れた。その子孫が秦氏であったと云いう。織物、土木技術、砂鉄や銅等の採鉱及び精錬、薬草など広めたという。 展示品の中に鉄剣があったのも納得である。

 縄文・弥生の時代には馬がいなかった。5世紀前後から馬が日本でつかわれるようになったという。 ここの古墳中期以降の遺跡に「馬のはにわ」があるのは先進的なことであろう。 地方の豪族となっていた渡来ユダヤ人が鉄剣をもち馬に乗っていたことがわかる。

 

         2024-9-17