海員組合を作った男  浜田国太郎 1873-1958


 

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 弓削島から「ゆめしま海道」の橋を渡って自転車で生名島に行く。2016年夏にヨットで弓削を訪ねた時、温泉に行く途中の民家に「海員組合を作った男」のポスタ-を見かけて、気に掛けていました。2017年12月再訪してみると、その海父といわれる浜田国太郎の彫像が再建されたことを知ることになり、見て来る。 先の大戦において、金属供出でそれは台座から外されていたものです。

 

 彫像

 




 彼は明治6年10月25日愛媛県生名島生まれ。12歳から船員生活に入り、明治26年日本郵船に入社、火夫長として各船を乗船。明治39年日本郵船の火夫長を糾合して機関部倶楽部を創立。のちに他社の船員にも呼びかけて組織を拡大し、日本船員同志会と改称して、明治45年のストライキに勝利。以後海上労働運動の指導者となり、大正3年友愛会に参加。9年ジェノバで催された第2回ILO総会に船員代表顧問として出席。帰国後船員団体の大同団結にのり出し、大正10年日本海員組合を創立し副組合長となり、昭和2年組合長に就任。10年組合長を辞任し、その後は宗教運動に関心を抱き、12年僧籍に入る。戦後は青少年の補導・教育につとめた。
 

中央に国際運輸労連ITFフィンメン書記長、その隣が浜田国太郎


 船員の組合は職能別・企業別・地域別など20以上に分かれていたという。1921年・大正10年に23団体が統合して日本海員組合が設立された。これは下級船員の組合であったが、海技免許を持つ職員の組合化も進み日本海員組合と密接になる。1935年・昭和10年には彼は組合長を辞職したが、組合員数10万人を超える。当時の組織労働者が40万人であったので1/4が組合に属する船員労働者であった。 戦前から年金と健康保険が船員には制度化されていた。こうした制度をつくる力に組合は貢献したのであろう。日中戦争が始まり1940年には解散に追い込まれます。 戦後は産業別単一の労働組合として再建された。1954年にはユニオンショップ制を協定。1972年91日間のストライキを決行。以上は組合史の概歴です。

 外航日本人船員は1974年のピ-ク時で約57、000人から2009年に2、400人と減少しています。スキルを維持できるレベルの船員数ではありません。今では、極めて例外的に巨大タンカ-やLNG船の幹部船員として4名ほどの日本人を乗組みさせている。

 大手船会社の一例です。800隻を運航して自社で200隻を管理している。それに7200人の船員を配乗して、日本人は400人程度の現状です。日本人船員の経費は船員費ではなくて管理費として計上している。運行管理で実務の経験のある日本人人材が欲しいということなのでしょう。

 小さな輸入代行業者をやっているので、アメリカから船積でヨット・ボートを持ってくることがあります。荷降しの立ち合いで外国船に乗船することががあるのですが、その船の乗員構成は、職員は西欧人で下級船員はアジア系で乗組む船ばかりです。 外航船員の職場が無くなったのではないと感じます。日本の海員組合の方針が間違って外航船員が消滅したのではないかと思っています。

 組合長の選挙で裁判になり無効の判決がでました。組合の事務員の不当労働行為で組合が訴えられています。いったいこの組合は何ぞやと思うばかりです。 

 他の組合でも組織率が下がり、正社員のための組合でしかないような状態です。かっては下級船員は乗船時のみの期間雇用で、今の派遣社員のようなものでした。浜田はそれを組織化してまとまった組合に育てました。
 今の外航船員はユニオンショップ制ゆえにアジア人でも組合員として雇用しなければなりません。従い組合費を払ってくれて会員組合自体は盤石です。我が国は交易立国であるので、いったん有事になれば船員徴用が避けられないでしょう。今になっても中国に投資する経営者や経営に安全保障の理念を持たない社長さん、組合ともども反省の上に立ち手立てを考えてほしいものです。
歴史的には下記のようにえらい経営者もいました。

 

   勝田銀次郎

勝田銀次郎

 ここで800人のソ連の子供を救出した陽明丸の船主勝田銀次郎さんのことを書いています。その勝田汽船と海員組合との争議で組合長の浜田国太郎がこう述べています。 「彼が勝田汽船の社長時代に、日本の海運界がドエライ不況に見舞われて、給料の遅配・欠配で労組と対決沙汰になったことがあった。彼は家財道具まで売り払って事態の収拾にあたり、世間をアッとうならせ、組合を感激の涙でぬらした一コマは忘れれない思い出である。


 彼は人を愛することに徹しきった。彼の眼中には財宝も地位も名誉もなかった。彼は “垢抜けのしたバカ” だった」
 雇用主の責任を自覚している勝田さんだからこそ陽明丸の偉業をなしえたのでしょう。


    2018-1-13、  2024-9-10再筆