この本は邪馬台国の所在が阿波にあったという説を支持する小生がそれを補強するべく買い求めたものである。
田中英道は日ユ同祖論ではなく日ユ同化論を述べる、ユダヤの人々は国を持たなかったけれども、ひたすら宗教と伝統を守ってきた。それが日本では同化したというのは不思議なことです。そこらあたりの説明をもっと知りたいところではある。 日本は万年の縄文文化を持っており、そこへユダヤ人が渡来して、戦争をしなかった平和の縄文人が彼らを受け入れ彼らは日本に同化したものであると、小生は思っています。
下表にある第3波の徐福の跡を、鹿児島や三重県において小生は見かけている。 ここで波田須の道と串木野祠をとりあげています。日本各地に徐福の跡があるようです。 応神天皇の時代には第4波の弓月国からら2万人のユダヤ系の人々の移民を受け入れる。(徐福は2千人です) 第5波の蘇我氏ですが、大化の改新・645年の時代になると蘇我氏は教科書にも登場してくるので知っている。ユダヤ人であったとは知りませんでした。 431年「エフェソス公会議」において景教・ネストリウス派は異端とされ東へ旅立ち日本にたどりつく。蘇我氏は「われよみがえり・我蘇」と呼んでいる。 これまでの自分が、ばらばらに学んでいた景教・蘇我氏が結びついてきました。
ユダヤ人渡来の5つの波 、 本文より
第1波 | 紀元前13世紀 | 出エジプト記/縄文時代 | 日高見国・スサノオ |
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第2波 | 紀元前722年以降 | アッシリア捕囚と失われた10支族 | 日本建国 |
第3波 | 紀元前2-3世紀 | 秦の始皇帝・徐福ら3千人 | 秦氏各地に渡来 |
第4波 | 3-4世紀 | 弓月国から秦氏2万人 | 応神天皇が受け入れ |
第5波 | 431年以降 | エフェソス公会議・ネストリウス派 | 蘇我氏 |
あのピラミッドにも負けない巨大な古墳築造をを指導してきたのは秦氏・ユダヤの人々だという、仁徳天皇陵はユダヤのマナの壺の形にソックリな形状である。さもありなんと思われる。仏教が広まるとともに古墳は消えた事実も本書で知った。
マナの壺
成田空港近くの柴山にはにわ博物館があるという、今度訪れたいと思っている。 そこに昔は「武将はにわ」と学んだつもりであったが、本書の指摘で明らかに「ユダヤ人埴輪」と考え直した。 ユダヤ人の「もみあげは」 聖徳太子もつけているし埴輪にも表現されている。
長いモミアゲ・ペイオト姿のユダヤ教徒
友人が優秀な子供を持ちその子が医者になり、米国でユダヤ病院に勤務し、ユダヤ人と結婚している。 ユダヤ人に対して差別や偏見を持たない日本人でも、意識・教養の高い人には世界での差別の存在を認識・実感しているので、娘の亭主がユダヤ人かと指摘されると気色ばむことになるのでしょうか。 難しい問題である。デイ-プステ-トの世界支配の問題もあるしね。
本書でも、樋口季一郎中将のユダヤ人の満州通過を即断し、戦前の東条首相ですら追認したことを述べています。
「中国・朝鮮の文化圏としての日本史観は捨て、ユダヤ同化論を突き詰めて頂きたい、」
「ユダヤ人たちが世界に対して何をやるべきかということは、平和の場所の伝統と文化に貢献することであろう」
「日本という地で、ユダヤがいたということは、世界を考える上で重要な思考の礎になる」......... 田中英道氏による
https://www.youtube.com/watch?v=FrShBtLDggk
https://www.youtube.com/watch?v=jGaYbjeOK5U
聖徳太子に隠された謎に迫る│茂木誠
https://www.youtube.com/watch?v=TKYpKFxLzek&t=10s
世界第3次大戦前ともいわれる「新しき戦前」のこの時代、イスラエルがイランと戦火をまみえるようになれば、ロシア・中国・北朝鮮が漁夫の利とばかりにどう動くか分かりません。 日本とユダヤの平和的な関係が研究され明らかになっていくことを望むばかりである。
阿波・邪馬台国と日神子・卑弥呼 邪馬台国は阿波にあったのか? 香川宣子さんによる
未だ、自分自身にこなれた知といえないところは、バレてしまっていることでしょう。皆様の考えの一部になれれば良いです。
2024-9-9