21番太龍寺を参詣した時にロープウエイ乗場へタクシーを呼び寄せ、若杉山鉱山遺跡と湯谷神社へ行って来た。 地元のドライバーでもこれらへは行ったことが無く、スマホを見ながら、こちらがそこへ指示した。
那賀町 周辺図
湯谷神社
古事記にあるイザナミが黄泉の国から逃げる道を黄泉比良坂(よもつひらさか)と言いますが隠岐出雲の国にあるのではなく「ユヤの坂」のことである。美馬市穴吹町から山越えして阿南市まで続がっている。下図にそれに関連した地名を記した。
湯谷神社は道路わきにあり、見逃しやすい場所である。
鳥居
大きなものではない本殿
葦稲葉神社、 事代主神社、樫原神社、建夫津神社、熊野神社、鴨神社、伊邪那美神社、倭大國魂神社
「いずも」の神社を訪ねる
大御和神社 豊国神社 八鉾神社、賀志波比売神社、生夷神社 津ヶ峰神社
若杉山辰砂採掘鉱山遺跡
ロープウエイ乗場から那賀川沿いの林道みたいな県道283号を走る。グ-グルマップではここを指示できない。 川沿いの道と遺跡と直角に・最短距離の近接地点で車を止めて、鉱山跡に行く登り口を探すが見当たらなかった。 もう少し北上して水井橋近くの地元の方に尋ねて、20番鶴林寺からの21番太龍寺へのお遍路道の案内看板を教えて頂いた。若杉山鉱山跡の案内も併せてあったが、その道は歩き遍路道で車が走れる道では無かった。後日へと断念して引き返した。
行けていないのであるが、ここでは、石杵(いしきね)・石臼(いしうす)や辰砂(しんしゃ)原石が大量に見つかっている。辰砂は、赤色顔料の「朱」の原料で、石杵や石臼などの石器を用いてこれを朱に加工する工程を若杉山遺跡で行っていたことが分かった。 出土土器から弥生時代の終わりから古墳時代の初めまでが朱生産のピークと考えられるという。
全国的にみても辰砂を採掘する遺跡として唯一のもの。水銀朱は古墳時代前期などに古墳の埋葬主体に大量に使用される。若杉山遺跡で産出した水銀朱も各地の古墳築造時に運び出されていったものと想定され、古墳時代の広範囲な流通を知る上でも非常に重要な遺跡である。 魏志倭人伝に卑弥呼の国には辰砂の鉱山がありと書かれている。 他の有力な邪馬台国の地には、この種の鉱山が無い。 ここ阿波の国こそ、この鉱山により邪馬台国の地である重要な証拠になる。
鶴林寺から大龍寺へ
近接地点でタクシーを止める
若杉山辰砂採掘遺跡 案内板
2024-8-29