2024年08月27日
いよいよ結願です。 昨秋の徳島では1番から20番札所まで参詣した。 11番藤井寺より12番焼山寺は山奥ゆえに残したままであった。近春から逆打ちにして、ヨットで反時計回りで四国を巡航したのでここが最後になった。
神山町 周辺図
JR徳島駅前のバス乗場から神山高校前行きに乗車。 神山町役場前で下車してタクシーを呼ぶ。 タクシーは2社ほどしかなく、午前中は医者や買い物のご老人の利用が多く、前日の予約が良いのかと思われた。 卑弥呼の在た地の悲願寺に行く予定をしていたがタクシーが捕まらず行くことが出来なかった。
順番に訪問するのにこだわらなければ11番の藤井寺でいったん止め、翌日に17番井戸寺より13番大日寺まで歩き遍路で行けるので大日寺よりバスで神山町役場へ、逆に順序にこだわるならバスで役場前までいき焼山寺を終えて再びバス便大日寺下車の方法もある。 11番藤井寺より歩き遍路で12番焼山寺は厳しいものになると思われる。修行だと思われるている方には余計なアドヴァイスであろう。
ちなみに、はるばる海から渡って阿波の海岸にたどり着いたユダヤの人々は神の山のここらあたりにたどり着いたと云う。卑弥呼は悲願寺を拠点とした。
12番 焼山寺
大宝年間(701年 - 704年)、役小角(役行者)が開山し、庵を結び蔵王権現を祀った。のちに空海(弘法大師)は、神通力を持ち火を吐いて村人を襲う大蛇がこの山に棲んでいることを聞き退治に向かった。大蛇は全山に火を放って妨害したので摩盧(水輪)の印を結びながら進むと、蛇は山頂の岩窟に閉じこもって抵抗した。そこで虚空蔵菩薩や三面大黒天に祈願すると大蛇を岩窟の中に封じ込めることができたため、そのお礼に虚空蔵菩薩を刻んで本尊とし一寺を建立したという。
階段と山門
本堂 本尊は、虚空蔵菩薩 秘仏
藤井寺から焼山寺の間はお遍路ころがしと言われ 「一に焼山寺、二に鶴林寺、三に太龍寺」 と焼山ではかなりの難所になっています。
11番藤井寺方面を望む
2024-8-27