2024年08月17日
中岡慎太郎記念館と生家
室戸岬港からバスに乗り奈半利へ着く。 そこから北川村のコミュニテイバスにて記念館に行って来た。 本数が少ないので時刻表には注意が必要である。
中岡慎太郎、 北川村周辺図
中岡慎太郎は龍馬と一緒に暗殺されたけれども、多くを知っているわけではない。
まとめると、大庄屋の長男として生まれたので帯刀はゆるされたであろうが、農民で郷士でさえないと思う。 土佐勤皇党に入り、それが弾圧されると脱藩し長州へ亡命する。そこに都落ちしていた七卿の衛士となる。禁門の変で負傷する。 下関戦争で攘夷を捨て開国論へ転じる。竜馬と共に薩長同盟を締結させた。竜馬とともに脱藩を許される。板垣退助や谷干城とともに薩土倒幕挙兵の密約を結ぶ。大政奉還の建白を推進していく薩土盟約の仲介する。陸援隊を組織す。薩土盟約解消。大政奉還成立。竜馬と暗殺される。享年30。
記念館
記念館前に立つ像
松林寺
生家近くの松林寺で学ぶ、また山越えし苦労して麓の塾へ通ったと云う。
奈半利川の山間の誕生地
中岡慎太郎の生家
天保9年4月13日(1838年5月6日)、土佐国安芸郡北川郷柏木村(現在の高知県安芸郡北川村柏木)に北川郷の大庄屋・中岡小傳次と後妻ウシの長男として生まれた。
記念館の近くに少し下ったところにある。
生家
大庄屋といえども見てみると豪壮な家ではない。 山間の農家であったので貧しかったのであろう。
内部
2024-8-17