渡辺昇を訪ねて

渡辺昇を訪ねて

    


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 渡辺昇 1838-1913


  来年(2023年)の春まで、大村港にヨットを越冬することになった。 その係留準備作業を終えて、自宅にかえるまでの数日に大村城周辺を友人から自転車を借りて散策した。 大村城や五小路武家屋敷通りを見学。

 鞍馬天狗として描かれたのではないかと云われた渡辺昇について興味を持ち、地元に何かないかと尋ね歩いた。彼については下記のように取り上げている。



   渡辺昇と大村藩

   http://hayame.net/custom21.html#spb-bookmark-567



 渡辺昇について観光案内所では何も知らないようである。 図書館と歴史資料館の人に尋ねても詳しくはないようだ。 旧楠木正隆屋敷の前の案内板に渡辺昇と兄・清 兄弟の屋敷跡の図があった。 そこらあたり訪ねる。 しかし、地元の人に尋ねた、80歳になるおばあちゃんにも聞いたが、確かな記憶は無いようだ。 役所の作った案内板も存在せず。 明治になって昇・子爵と清・男爵になった兄弟であるが、維新の成就とともに東京に行って栄達し、地元への貢献が少なかったのであろう、地元では忘れられてしまったようだ。

 個人的には彼は剣豪で、幕末には多くの人を切った。栄達して、それを思い出し、眠れない夜を過ごしたと云うので、むべなるかなとも思われるが。



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 楠木正隆邸と渡辺昇邸  案内図



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  上図にある渡辺昇・清邸跡と思われる交差点





 渡辺清の娘・石井筆子 (1861-1944)は女子教育や知的障碍者の施設の維持・発展に尽くし、ここ大村に銅像が立つ。オランダ、仏で2年間学び英語・仏語・蘭語が話せ鹿鳴館の華とも云われたという。


 

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  石井筆子 銅像、  父や叔父さんのものは地元にはない



    2022-12-5