塩野七生さんによる
スパルタとアテネ
アテネに勝利したスパルタについては「スパルタ教育」程度のことしか小生は知らない。 ペロポネトス戦争に勝ってギリシャの覇権を握ったスパルタは、その後パットすることもなくマケドニアにその覇権を譲った。 塩野さんの「ギリシャ人の物語」により少し分かった気がするのでのでここに記します。
スパルタの年表・紀元前
1104 建国したと云われる
800-700 リュクルゴスの憲法成立
546 ペロポネソス同盟成立
490 第1次ペルシャ戦役
480-479 第二次ペルシャ戦役、 テルモピュレイの戦い
404 ペロポネソス戦役でアテネに勝利 ギリシャの覇権を握る
395 コリントス戦争 アンキタルキダスの和約
371 レウクトラの戦い、 ギリシャの覇権喪失
社会の構成
2人の王、 戦場で戦闘を指揮するのみの権限
5人のエフェロス、 市民集会で選ばれて再選不可の1年任期、内政と外交に従事
一万人のスパルタ人戦士・市民権を持つ、 20-60歳の重装歩兵として軍役に従事
ヘリオイコイ 7万人、手工業や小規模の商業に従事
ヘロット 16万人、 農奴・農業に従事
ギリシャの陸軍の代表とも言えるスパルタの重装歩兵は歴史を通じて1万人余りであったという。 それは市民権を持つことが出来たスパルタ人であった。この数の兵力でスパルタを維持しアテネに勝利して覇権を握った。 それに役立った制度が今度は衰退の原因となり、わずか70年の期間で衰える。
5人の内閣ともいえるエフェロスは1年の任期年で再選無の人である。 彼らはリュクルゴス憲法の番人ではあったが戦略的思考のできない人であった。 ペルシャの力を借りてアテネを倒したが、スパルタ人はその傭兵と化して弱体し衰亡していく。
少数のスパルタ人で自国を支配したのであるが、スパルタはヘロットには収穫の半分しか収奪をしなかった。ヘリオイコイにも安価な税金であったという。 小生にはあの苛烈なスパルタにしては驚き である。
まずい食い物を食べ華美な生活をしないスパルタ人にはその収入で充分であった。
スパルタは軍事に特化して若者を訓練・教育し、30歳になってから所帯を持っても、寝る時は宿舎に戻るようなストイックな社会にも衰亡が訪れた。
作家で都知事であった石原さんが、 かってスパルタを持ち上げるような本や言動があったと記憶にあるが、この本を読んでなんと言うのであろうか。
全3巻の「ギリシャ人の物語」を5年以上もかかって読み終えたのですが、「ローマ人の物語」も含めてこれを読めば小生にはその後の西欧の歴史はどうでもよくなります。これを学べと言っても、多くのものを学びっとっていないのは事実でしょう。
2022-1-23