小手島と高見島

 

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 塩飽諸島

 

 

 手島を出港して小手島に立ち寄り佐柳島の長崎で1泊するつもりであった。佐柳島北部にある長崎の港へ入ると予想以上に狭く、予定岸壁に行く、そこからチェ-ンが張り出していて着岸不可能。 発見が遅れると船首をぶつけるところでした。佐柳島の停泊をあきらめ高見島へ向かう。 そこでは連絡船の着桟側の向かい側の利用していない側にヨットを着けた。2時間ほど見学して多度津海の駅に向かい停泊した。 ちなみに、手島、小手島、広島、本島は丸亀から連絡船・フェリ-が来る。 佐柳島、高見島は多度津からそれは来る。

 

 

  小手島・おてしま

 

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 小手島

 

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 案内図       19所帯33人が住む

 

 明治のころまで無人島だったが手島、北木島、真鍋島より移住者が来る。親の手島よりも賑わいを感じる。 漁業が手島と違い今でも盛んなようだ。手島よりも小さいにも関わらず人口が多い。

少しの間小手島を見て回ったけれど、帰ってから印象が薄くあまり思い出せない。

 

  

小手島ヨット泊地

 

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 赤丸が停泊地  短時間限定の模様

 

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  連絡船ポンツ-ンの反対側

 

 

 

 高見島  

 

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 高見島案内板、  人口は27人という

 

 高見島は船乗りには備讃瀬戸北航路と南航路に挟まれた島にあり、その島の北を西航し南を東航することから見慣れた馴染みのある島である。でも、訪れた人は少ない。咸臨丸の4人の船員を出した島でもある。 そのお墓があるということで大聖寺へ向かった。しかし、案内板が無くみつけることはできなかった。

 

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 大聖寺の門にある力士の木像

 

 

  竜王山が岸まで迫り平坦地が少ないので山の斜面に沿って家を建てて住む。 塩飽諸島に立ち寄って知ったのですが、両墓制というお墓の制度が残っており、埋葬するところとお参りするところが別になっている制度のようです。 日本古来の様式だという。 

 

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 両墓制のお墓

 

 寅さんお映画をテレビで連続して放送している時に、覚えのある映画で題名は忘れました。下の写真の映画です。そのスト-リ-は、引退した船長のところに、港々に女ありというような設定で生まれた娘が病気になりそこで静養をしていた。寅さんが家出したさくらの息子を探しにこの島へ来て彼女に出会う、いつものようにラブコメデイが始まりそして終わる。 この島を訪れてみて船乗り出身者を多く出した島のようには思えなかったが、歴史的にはあり得る設定である。 船乗り稼業に染まったことにある小生にはおもしろかった。

 

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 寅さんのロケ地となった高見島

 

 

 米国で成功した人が故郷に錦を飾った、石垣のすばらしい家が残る。

 

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 中塚邸  

 

 

 

    高見島  ヨット泊地

 

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 赤丸は停泊場所

 

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  泊まることもできそうである

 

 

 連絡船は正面を利用するので左右両サイドが利用可能だが沖から見て右側は堤防に近く避けて方が良いように思われる。

 

     2021-11-25