青木城・小丸城
因島の城 その2
村上海軍城
小丸城
因島村上家の第2家老稲井氏の城。居館は現在の対潮院にあった。いつものように何人かの人を煩わせた。ありがとうございます。地元の人にも古い人はともかく若い人には小丸城のことは伝わっていない模様。 裏の墓地への階段を登って行く。 途中に南北朝の戦いで釣島箱崎箱崎浦合戦の供養碑があちこちにある。 海上戦とも言われる戦いで亡くなられた方がここに弔われたということであろうか。 その時に今のような墓地があったわけではなく、この城もあったかどうかは分からない。 山頂と思われるところまで墓があった。 それより歩行困難であったので終わりとした。
ここは海岸近くというわけではなく因島の東岸や西岸への好立地であるので、求めに応じて加勢するためのものではないでしょうか。
ここは海岸近くというわけではなく因島の東岸や西岸への好立地であるので、求めに応じて加勢するためのものではないでしょうか。
墓地の裏の山が小丸城跡
登り口 対潮院の裏
あちこちにある釣島箱崎浦合戦で戦死者を弔う碑
本丸と思われるところ
青木城
一昨年に弓削海の駅でヨットの漏水事故が起きて、その修理備品を待って5日ほど滞在した。 部品を引き取りに隣の島因島マリ-ナに出かける。 行く途中で青木城の案内板を見つけたが、先を急いでいたので残念を持ったままであった。 今回は自転車でここを訪ねた。
青木城と付け城の馬神城
1567年に因島村上氏6代村上新蔵吉充が向島余崎城より青木城へ移った。 吉充は信長と対戦中の石山本願寺へ兵糧を掘んだことで知られている。
ここは三原の瀬戸を押さえる位置にある。青木城は海に囲まれた海城であった。 昔の地形が定かではないが隣の馬神島であった。海峡を隔てたそこに出城の馬神城があった。今回はそこへ訪れていない。
模型
本丸から続く北側に大手門、東へ尾根つたいに2の丸、3の丸、搦手と続く。
この理容店の横を登っていく
青木城 標高51m
石垣
本丸の柱石
本丸にある竜王神社 ここで昼食する
帰りには自慢のオリンピックで購入したフリ-パワ-の自転車がパンクした。 あいにく日曜日で修理が出来ず。 タクシ-を呼び、折りたたんで後部トランクに積み、土生港へ行き、連絡船で弓削まで帰った。
パンクした自転車
2021-1-18