甲浦散歩・かんのうら、    DMVバス

2024年08月22日

 甲浦散歩・かんのうら、 DMVバス



 室戸岬バス営業所よりジオパーク経由で高知の東部海岸を走る甲浦行のバス便がある。 それに乗り終点の甲浦まで行って来た。今は運行していない,旧フェリー乗り場がある。 

 東洋町海の駅から阿波海南文化村行の珍しいデユアル・モード・ビークルバスに乗った。 甲浦で高知県徳島県に別れる。


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  甲浦周辺地図



   甲浦漁港



 カツオ釣りの少し大きめの漁船が出入りする。乗組員はインドネシア人であろうか、東南アジア系の若者が町で見かけた。

 ヨットの係留にはふさわしいところが見つからなかった。強いて言えば旧フェリー埠頭がどうであろうか?

 

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  甲浦港図


 江藤新平佐賀の乱で負けて東京に向かう途中にここで上陸して捕縛されたという。 佐賀に送られ処刑された。



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  漁港地区 港内





    海の駅東洋町

 ここは徳島からのバスの終点で、23番薬王寺から24番最御崎寺へ向かうお遍路さんが、室戸行のバスに乗り換えるようすが見られた。 売店ではサシミが安くて大きい。買って帰りヨットで食した。



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  海の駅東洋町



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   白浜海岸

 夏のナギの時には湾の中央でポンとアンカーを打ってリゾート気分を味わいたいと思う。 シャワー施設が充実している。




   デユアル・モード・ビークル  DMVバス

 珍しい道路と線路を走行するバスに乗ってみた。 普段使いの雰囲気は感じられずに観光用でしょうか。 通勤に利用している人はいるのでしょうか。

 東洋町海の駅で乗車して道路を走り、甲浦駅でチェンジして線路に上がる。阿波海南駅で再びチェンジして道路を走行して阿波海南文化村で下車した。帰りは逆で海の駅で降りた。


 

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  デユアル・モード・ビークル



 

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  線路走行中



       阿波海南文化村



 DMVの始発駅である。博物館があり刀剣の展示があった。 知らなかったが、このあたりは刀剣造りの産地であったという。

 
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 食事するお店がなかったようで。手持ちのおにぎりを食した。


 

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  展示品




   和奈佐意富曽神社・わなさおうそじんじゃ

 スマホのグーグルマップのお気に入りにこの神社があり。近くの文化村に行ったのでタクシーを呼びここを訪ねた。 地元のドライバーも知らなかった。 マップを便りに着いてみると確かに町内にある規模の神社であった。 それでも格式のある式内社であるという。 家に帰って調べてみても、マークした当人も忘れているし、調べても不明である。 判明次第アップいたします。

 何の所縁であろうか?  スイマセン。

 

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  鳥居

  祭神に関して諸説あり、「大日本史」には大麻比古神、「特選神名牒」では大麻神と記載されている。(ウイキより)


 

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  本殿

  これにて甲浦散歩を終える。DMVに再び乗り海の駅東洋町からバスで室戸まで帰った。



    2024-8-21
 
 
 

日和佐城

   日和佐城

 大昔の20代の時に日和佐に来たことがある。当時は日程を消化することに一杯でこの城に行くことはなかった。 ヨットで海から入港する時にお城を見ながら入るのは気分が良いものだ。 九州の平戸城、四国の川之江城なんかは良い例です。

 10年ぶり位で日和佐に入港し、お城にタクシーで向かった。 運転手はもうお城はやっていないと行くのをオススメしない口ぶりであった。 まあ、いいからと行って見た。 閉館中とかで中へはいることはできなかった。 歴史を踏まえて再現された天守ではない。また、耐震に問題在りということで閉館中(敷地内立入禁止)だそうですが、改築するなら研究してオリジナルに近いものになるといいです。 平戸のように櫓や塀も造るともっと良い。

 

 元亀・天正(1500年代の初め頃)、日和佐の豪族日和佐肥前守が、阿波の南部侵入を目指す土佐の長宗我部勢を防ぐためにこの地に城を築いたと伝える。日和佐肥前守が造った城は、天正十三(1585)年蜂須賀家政が、阿波に入国した際に廃城になったといわれているため、当時の城の形態に関しては、全くわかっていませんが、城の構えは、山城であったと考えられるとか。

 

 

  日和佐城

 

    日和佐 ヨット泊地



      2024-8-21

 

 日和佐   ヨット泊地   

 

 日和佐   ヨット泊地

 

   室戸・日和佐  周辺図

 

  赤丸は係留地  位置AからBヘシフトした

 

 最初は防波堤を過ぎてすぐの位置Aに2日ほど係留した。荒天が予想されたので、巡視船の後ろの位置Bへシフトした。ここはウネリも入らず良い位置であった。 1隻くらいのスペースしかないので写真のように横抱きになる場合もあり。

 

 係留地B

 

   日和佐城

 

     2024-8-20

 



 

お遍路25 23番 薬王寺、 22番 平等寺

   

 逆打ちでこの日和佐まで来ると残りは4つになった。 しかし、歩くことを避けていた小生でも左足の甲に痛みがでてきた。 なぜか札所は山の中に多い。 坂道や階段を登ることが多いゆえであろう。

 日和佐と由岐の診療所でそこを診察してもらった。 レントゲン技師が不在で撮影できずに痛み止め薬と湿布をもらう。 地方で都会を離れると、病院に行っても、今日は外科医やレントゲン技師がいなくて診療できないなんてこともある。 良いことばかりではないようだ。

 由岐の病院からタクシーで平等寺に向かった。帰りはJR新野駅から日和佐駅までJRを使った。

 

  日和佐 周辺図

 

  23番 薬王寺  

 

 、神亀3年(726年)に聖武天皇の勅願により行基が創建と伝わる[1]。弘仁6年(815年)には平城上皇の勅命によって空海弘法大師)が厄除けのため薬師如来像を刻み、伽藍を建立。

 

 

  瑜祇塔

 日和佐に入港する時にはこの塔は顕著なよい目標になる。

 

 

  本堂    本尊は、厄徐薬師如来  秘仏



 

 大師堂





    22番 平等寺

 

 空海がこの地で厄除け祈願をすると五色の雲がわき金剛界大日如来梵字が金色に現れた。さらに、その端相に加持すると薬師如来像が浮かび上がったので、錫杖でその場に井戸を掘ると乳白色の水が湧いた。その水で身を清め百日間の修行をした後薬師如来を刻み、堂を建てて本尊として安置した。

 

 

 本堂   本尊は、薬師如来

 

 大師堂



         2024-8-19



室戸岬港、津呂港、  室津港  ヨット泊地、

      室戸岬  ヨット泊地

  安芸を出港して室津室戸岬か迷ったけれども、室戸岬港に入港した。 室津港は漁船が多く係留余地が少なく室戸岬が正解であった。 買い物などは室津が便利である。そのために、バスでコインランドリーやスーパーに行くことになった。

 

  高知・安芸・室戸  周辺図

 

 

  赤丸は停泊地、 位置AからBへシフトした

  Aの位置に係留したけれど、工事船がここへ停泊するとの張り紙がビットに貼り付けられていたのでBの位置にヨットをシフトした。 出港するまで5泊したけれど、それが来航する気配はなかった。 前の位置の方が停泊中のウネリを避けやすく動揺が少ないようだ。


 

 

 

    室戸岬津呂港

  津呂港室津港と同じく、土佐藩執政野中兼山により、整備された掘り込み港です。工事に当たり、港口を塞ぐように3つの大きな岩が海中にあったのを、『張扇式の堤』により取り囲み、中の海水を抜いてから大鉄槌やのみで砕いたと伝えられています。
土佐から畿内方面への航路上で風待ちする港として重要な位置付けにここはありました。

 津呂港,    中央の空きビルはかっての遠洋漁業の司令塔だったという

 

    2024-8-18

 

 

 

   室津  ヨット泊地



  青丸は候補地、   広いようで適当な係留地は見つからない

 25番津照寺は岸壁からすぐ近くにある。



    2024-8-18

 

中岡慎太郎記念館と生家

2024年08月17日

中岡慎太郎記念館と生家

    


 室戸岬港からバスに乗り奈半利へ着く。 そこから北川村のコミュニテイバスにて記念館に行って来た。 本数が少ないので時刻表には注意が必要である。

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  中岡慎太郎、 北川村周辺図

 中岡慎太郎は龍馬と一緒に暗殺されたけれども、多くを知っているわけではない。

 まとめると、大庄屋の長男として生まれたので帯刀はゆるされたであろうが、農民で郷士でさえないと思う。 土佐勤皇党に入り、それが弾圧されると脱藩し長州へ亡命する。そこに都落ちしていた七卿の衛士となる。禁門の変で負傷する。 下関戦争で攘夷を捨て開国論へ転じる。竜馬と共に薩長同盟を締結させた。竜馬とともに脱藩を許される。板垣退助谷干城とともに薩土倒幕挙兵の密約を結ぶ。大政奉還の建白を推進していく薩土盟約の仲介する。陸援隊を組織す。薩土盟約解消。大政奉還成立。竜馬と暗殺される。享年30。



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  記念館



 
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  記念館前に立つ像





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  松林寺

 生家近くの松林寺で学ぶ、また山越えし苦労して麓の塾へ通ったと云う。



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  奈半利川の山間の誕生地





    中岡慎太郎の生家



 天保9年4月13日(1838年5月6日)、土佐国安芸郡北川郷柏木村(現在の高知県安芸郡北川村柏木)に北川郷の大庄屋・中岡小傳次と後妻ウシの長男として生まれた。

 記念館の近くに少し下ったところにある。



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 生家

 大庄屋といえども見てみると豪壮な家ではない。 山間の農家であったので貧しかったのであろう。



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  内部



          2024-8-17

高知 吉良川の街並み

  

 

  室戸岬港からのお遍路寺26番、25番、24番と一緒に吉良川の街並み保存地区へ行ってきました。

 西海岸の奈半利から室戸岬東海岸室戸岬から甲浦は鉄道の路線がないのでバス便になる。

 

  吉良川から室戸岬

 

 重要伝統的建造物保存地区になっている。 備長炭で財を成して明治から大正にかけてこのような建造物が建てられたという。


   案内板

 


  街並み1

 

 

  台風から守るための「いしくろ」の塀



 

  多雨の地ゆえに土佐漆喰壁を守る水切り瓦(小屋根)が幾重にも設置されている



 

 ここも水切り瓦が見られる



     2024-8-15